秋の陽が高くなるに連れて、陽射しに照らされる木々の葉っぱが色鮮やかに輝き始める。赤色に黄色に、透き通すような黄葉した葉っぱ。

【上弦の月から2日後の月齢9.7の月、樹木の葉陰を通して見えた(左)快晴の夜空の月(右)】

【光がいっぱいの森】

雪が150cmも積もった、あの厳冬から新緑の春、緑濃い盛夏そして黄葉・紅葉の季節まで毎月1回、月一山小屋生活も1年を終えようとしている。

また、来月はそろそろ冬支度をしなければならない。ベランダのペイントをしたり水道や風呂の凍結防止の準備だ。、この冬は雪の下で探し当てるのに苦労した。
水道の元栓の位置を示す2mくらいの標識も準備しておかなければ、また宝探しのようなことをする羽目になる。

今頃は、紅葉・黄葉が見ごろになりつつあるだろうが、来月行くころには、その黄葉・紅葉のじゅうたんが敷き詰められた色とりどりの別のコウヨウが見られるだろう。
そして、木の葉を落とした明るい森になっていることだろう。

秋色の森を歩けば・・・・


秋色が濃くなってきた森を歩けば、いろいろな出会いがあるだろう。
すでに色づいた葉っぱが、かなり地面に敷き詰められていた。
カサコソ カサコソ 足への感触が楽しい。
さて、なにに出会えるのだろうか・・・。
小屋の森と周囲を歩いただけで、いろいろなものに出会う。

朝陽がいっぱい輝いていた”光がいっぱいの森”に朝一番に出会えた。光に包まれて樹木が光の中へ溶け込んでいってしまいそうな森だ。まるでこの森の向こうは、光の国?どこか宇宙へでもつながっていくのではないか、と錯覚しそうだ。

枯れ葉の森を歩けば、実りの秋に相応しい木の実がたくさんついている。人間には、食べられない実でも森の小鳥や小動物たちには、ごちそうだろう。
色も鮮やかなものがいろいろあって、これは我々の目を楽しませてくれる。
今年、小屋の周りの栗の木は、ほとんどと言うより全くといっていいほど実をつけなかった。 天候の所為?  それもあるかもしれないが、柿や栗などは、年生り(隔年結果)といって、去年豊作だったら今年は生らないことが起きる。たぶん、それだろうと思う。去年はけっこう沢山栗の実を拾った記憶があるから。
小鳥がよくやって来る森でも、今年はあまり沢山の小鳥を見かけないのは、木の実が他でも豊富なので特定の場所へ来なくても済むからなのだろうか?

色とりどりの木の実の森にやってきた小鳥たち。
お目当ての木の実はあったのだろうか? 
小鳥たちもそろそろ入れ替わり、夏鳥は去り冬鳥たちが渡って来る頃だろう、今は留鳥たちや冬鳥が顔をみせてくれる。
このあたりの森は、餌が豊富なせいなんだろう。

朝の散歩をしていると、道端の笹薮の中でガサゴソガサゴソ立ち止まってじっとしていると、ちょうどよく見える枝に出てきて、あっち向いたりこっち見たりのキョロキョロのホオジロウ君。

少し歩いていくと、今度は、ジェーッという声とともに、ブドウ色の体と翼の青、腰の白のカラフルな鳥が飛んできて松の木に止まったJ君。
ギーッ ギーッという鳴き声。 コツコツと木を突っつく音、見上げれば木の幹をチョコチョコおなじみの動き、そのうちにツィーイツィーイと弧を描いて特徴ある飛び方でいってしまったコゲチャン。

地上の紅葉に対し、地面にもけっこう赤いものがある。赤い色もいろいろだが・・・。

赤い傘の上に白ゴマをふりかけおいしそう?なキノコ。でも食べたらタ〜イヘン。
このゴマ、実はつぼの白い破片が散在していたのだ
草花の名前の由来はいろいろあるが、茎(本当は茎ではない)の模様が蝮に似ていることからついているこの植物。
この赤いツブツブの実が、どうしてあの花?
花のように見える仏炎包からできるのかフシギ。
青い実から徐々に赤くなっていくようだが。

その夜、樹林の間からの木漏れ日ならぬ木漏れ月明かりが明るかった。満月には4〜5日早い月齢9.7の月だった。都会では、あまり気がつかないが、人工光がほとんど無い森の中では、これくらいの月明かりの自然光でも十分明るい。こんな素朴なことをいまさらのように考えている自分。子どものころはこういうことが当たり前だったはずなのに・・・。

つる性のタワラグミに似たこの実が今たくさん生っている。ちょっと渋い紅色だ。
少し前まで、うす紫色の鐘形の花を咲かせていた後に実をつけた。まだ枯れかけたガクだか花びらの跡なのかをつけたままの状態だ。

いずれも葉っぱは、まだ青々しているので、緑の葉っぱに淡紅色や真っ赤な実の色彩が鮮やかだ。

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  marutagoya  2005 Oct. 18 tama
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