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故郷の山

故郷の山と言うと石川啄木の「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」なんて言う言葉を思い出す。

久しぶりに長野の実家へ寄ってみた。お盆が近かったのでお墓参りをして、実家の仏壇にもお参りをしてきた。仏壇がある座敷の脇の壁には父母、祖父母など今は亡き親族の遺影が掲げられている。それらを見ていたら、かつてここに住んでいた頃の事を思い出した。

実家は、山国信州でも北部の善光寺平を流れる千曲川に流れ込む、支流の河岸段丘にある。周囲四方は山ばかりが間近で、かろうじて開けているのは西の方向、長野市街地方面で、遠くに高く聳える北アルプス後立山連峰の峰峰を望む地だ。今、この歳になっても、この地で周囲の山を眺めると気持ちが安らかになる。
実家の庭から東南の方を見れば、この辺りの最高峰・保基谷岳が見える。頂上は高い山というような感じではなく、ダラダラ登ったらそこが頂上(1529m)だったというところだ。
それを左に目を移していくと菅平高原の西口だ。
実家の辺りから菅平へ通じる道路は、かつて路線バスが通っていて、山菜採りの頃は近所の人や親とバスに乗って出かけた。途中で降りて、春はウドやワラビ。秋はキノコ採りに行ったものだ。

また、この道を歩いて菅平まで行った事もあった。途中には窓岩や岩戸と呼ばれる大きな岩や鬼の露地など名称が付けられた場所がある。
この県道長野菅平線は冬期間は雪で、通行止めになるが、雪が降れば降ったでスキーを担ぎ雪道を歩き、スキーで滑り降りてきたことも何回かある。

すぐ近くにある温泉の裏山では、カブト虫やクワガタなどを捕まえ子供同士で自慢し合った。裏山では、小屋を造り秘密基地など、周囲の山は遊びの宝庫だった。

成長するに連れて、行動範囲が広がり、生まれた辺りからとなり町、更にその向こうへと・・・すると目にする景色や山も変わってきた。
千曲川の近くまで行くと、北信五岳と呼んでいるこの辺りの山が一望できる。
これらの山々は、妙高戸隠連山国立公園に属し、長野県と新潟県にまたがる国立公園として2015年に上信越高原国立公園から分離した。

北信五岳は、長野市の背後にある飯綱山、その奥に戸隠連山、飯綱山の右奥には黒姫山、更に右奥には頚城連山の一つ妙高山が見える。五岳のうち四山はまとまった形で見えるが、斑尾山はこれらから離れた形で野尻湖の近くに独立峰のような形である。
北信五岳の山は、何回も登ったが、斑尾山は何故か登る気にならない山だ。

子供の頃から西の空に高く聳える北アルプスの山々を見て、あの向こうには何があるのだろう?なんて、まるで想像も出来ない世界があるような気がしていたことも・・・。
そんな山も、ある時登って、子供の頃考えていたことを思い出し、その場所はどの辺りだろうと眺めてみたが、何処なのか分らず・・・そして山の向こうには、また山が聳えていた。

北信五岳のうちで飯綱山は、一番身近な山だ。長野市街から近く登山をするには比較的楽に登れ、市内の幼稚園の園児達が登ったり、小学生も沢山登る山だ。
登山道も一般に良く使われる一の鳥居からの南登山道、戸隠中社からの西登山道がある。西登山道は緩やかな登りで、途中から南登山道と一緒になる。

飯綱山は何回か登っているが、春か秋が良い。夏も良いけれど、頂上付近は霧が発生しやすくせっかくの良い景色が見られない時が多い。
春は頂上付近の残雪を踏みしめて、頂上からは360度の大マノラマを楽しめる。秋は紅葉の登山道を秋の花を楽しみながら登れる。

この夏も孫と登った山で、以前は娘とも登ったように家族で気軽に登れる山だ。

戸隠連峰は、大きく3つの山域に分けられる。右側の八方睨から一夜山までを西岳、八方睨から一不動までを表山避難小屋のある一不動から高妻山・北端の乙妻山までを裏山、これらを総称して戸隠山と呼んでいる。
戸隠山は何回か登っているが、西岳は危険で一般向けでは無いので、登ったことがない。

戸隠山を眺めて見ればよく分るが、ゴツゴツした凝灰質集塊岩からなる峻険な奇岩奇峰が立ち並び、風化浸食が進み危険な山なのだ。

一般の登山道となっている奥社から八方睨への登りは、変化に富んでいるが、最も顕著に現れたところが 「蟻ノ戸渡り」「剣ノ刃渡り」と名付けられた難所で、両端が百メートル以上切れ落ちるナイフエッジの稜線になっている。
若いときは、重いザックを背負ったまま、幅が30cmほどのところを立って渡ったが、最近では蟻の如く這う様にして渡るようになってしまった。
表山の縦走は、八方睨から一不動の避難小屋までで、アップダウンが続き嫌になる。それに加えてゾッとするような絶壁が足下に現れることもある。

裏山の高妻山・乙妻山へは一不動から五地蔵岳を通り三角錐のような一辺を登っていく。
高妻山は、戸隠山の最高峰で、頂上からの眺めは飯綱山からの眺めより更に素晴らしい風景が見られる。
高妻山も数回か登って、その先の乙妻山へは1回だけ行った事がある。高妻山は、もう一度登りたい山だ。

黒姫山と妙高山には、若い頃にそれぞれ1回ずつ登ったことがある。黒姫山は、長野県北部の信濃町にあり、黒姫スキー場には何回も通ったが、山へは1回だけだった。登山道は幾つかあったが、どのルートで登ったかは定かでない。
印象的には樹木の中の坂道を歩き、外輪山と中央火口丘の間の湿原を歩いた。その湿原にあった池から外輪山に登ると頂上だったように記憶している。
黒姫山は、頂上からの眺めはあまり良くなかったように思う。

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2022 27 August. tama

妙高山は、北信五岳の中では新潟県の頚城三山の一つだ。
妙高山は成層火山で外輪山の赤倉山、大倉山のピークと中央火口丘の妙高山南峰と北峰から構成されていて南峰が頂上だ。

この山もルートは幾つかあったがどこから登ったかは記憶に無い。
結構険しい岩肌をむき出しにした岩場に鎖場などあった。

何年ぶりかに実家へ寄って見たが、辺りの風景は少しずつ変わって来ていて、子供の頃と比較したら全く変わっている。実家の建物も建て直してすっかり新しくなり、便利に生活出来るようになった。周囲の家も昔の面影を残している家もあれば、全く違った家になっていたりする。
変わらないのは、自然の風景かと思えば、そうでもない。山の形こそ変わっていないが、山の手入れをする人がいなくなったようで、実家から見える山々は樹木が生え放題になっていた。

裏山は、所有者が山仕事をする人に依頼して山の手入れをしていたので、子供でもちょっと裏山へ登って来ると出かけても、松林の山は麓から山の中を動き回る様子が分るくらいに整理されていた。また、広葉樹の雑木林の山面は、ある程度背丈が伸びると炭焼きの人が伐採しながら炭焼きをした。
母方の祖父は、何でもやる人で炭焼きもした。雑木林の山の麓に炭焼き窯を造り、雑木林の伐採、それを炭焼き用の長さに切りそろえ、窯の中に立てて並べる。数日かけて焼き上がった真っ赤な燠火をかき出して、灰の中で冷やし堅炭を造っていた光景を思い出す。

昔は、そんな風にして山の手入れをしていたり、山の裾野まで畑になっていたので、今のように山に住む動物が人間の住む場所に頻繁には出てこなかった。今は山とかつての畑の境界に電気柵を張り巡らして、獣害を防いでいる。

こんな風に故郷の山を思い出してみると、生まれた地の山々から始まり北信五岳を中心に、北アルプスなどを登った。故郷を離れても、山登りは続いている。
そして、故郷の山は良いものだとしみじみ思う。眺めているとあの時は、あんな風だった。また何年か経ってから眺めたときは、ああだったかな?なんて、自分を引き戻してくれる。いつになっても故郷の山は良いものだ。そんな歳になったのか・・・と

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