北アルプスの山並み

横手山、白根山、本白根山

四阿山

浅間山

今の根子岳は、夏よりも冬の方が楽ちんに登れてしまうようだ。と言うのは、今ではスノーキャット(雪上車)で根子岳直下まで約25分で運んでくれるという。
ひと頃、ヘリコプターで頂上直下まで運んでくれ、滑降出来た時もあったようだが、雪上車の方が、安全で安価だろう。

今は、山スキーは一般的になり、山へ登る人ばかりでなく、ゲレンデで滑っていても、ゲレンデから外れて滑走禁止区域に入り込む人たちも多くなって、無謀スキーヤーが増えて遭難事故など多くなっているようだ。

そんなことを言っているが、若い頃は自分も新雪を追いかけて、コースを外れて滑ったものだ。

今は、道具もいろいろそろっていて、山スキーをやろうとする人が増えたようだ。テレマークスキーで山々を滑るのが流行っている。

今は、どこのスキー場も雪が降ればゲレンデを圧雪車で、雪を踏み固めてゲレンデ作りをしてしまうので、新雪を滑ることが出来なくなってしまい残念だ。

若い頃のスキー場は、朝一番のリフトで登れば、フワフワの腰まで埋まるほどの新雪を泳ぐように滑り下りたものだ。そんな風に滑っているうちに雪が固まってくるので、斜面には沢山のコブが出来て、そのコブを回りながら滑る。
ちょうど、今のモーグルのコースのようなゲレンデが自然に出来て、楽しく滑れたものだ。

今は、雪が降ると急斜面でも圧雪車が走り回り、平坦なゲレンデを作ってしまうので、面白いゲレンデが少なくなってしまったように思う。

根子岳も、雪上車で上がって行くようになり、誰でもスキーツアーが出来る様になったので、頂上の祠の回りは足跡だらけになっているようだ。

思い起こせば、1968年2月8日のことだ。その日の13時20分、冬の根子岳に登
頂し、帰りはスキー滑降をした、根子岳スキーツアーだった。
中学の同級生のM君と一緒だった。
どういういきさつで、この根子岳スキーツアーをしたのかは、今となっては思い
出せない。
あの頃は、菅平へ行くには、私が住んでいた保科温泉から県道長野菅平線を
通る、須坂から大笹街道経由、上田からは国道144号線経由で行けた。
でも、冬期間は一番近い県道長野菅平は閉鎖、須坂からの道路も今でこそ
拡幅され冬期間も通行可能になったが、あの頃はどうだったか?
どの経路で行ったのかも?一番遠回りの上田経由で行ったのかもしれない?

13時20分には根子岳の山頂に着いているのだから、前日に菅平に着いて、
早朝に出発したのだろう。

積雪期なので、どこでも通れて山頂に向へば良いので、その点は楽だ。
初めは、ダボススキー場からスキーを履いて出発した。その頃はスキーシール
を付けることなど知らなかったので、ゲレンデスキーを履いたままだった。
途中からは、スキーを担いで歩いたようなこともあった。
それでも、天気が良かったので無事に登頂できたのだ。

山頂に近づくに連れて、スノーモンスターが現れてきた。スノーモンスターは、雪や氷が樹木を覆い、まるで怪物のように見えることからこう呼ばれている。国内では、八甲田や蔵王などが有名で、気象条件の厳しい場所でしか見れず、根子岳はその南限に近い貴重な場所なのだ。
山頂では、写真を撮ったり、360度のパノラマを眺めた。四阿山の南には浅間山、湯の丸山、烏帽子岳、遠景は左の八ヶ岳、右の蓼科山。群馬県方面を見れば、左から横手山、白根山、本白根山、更に西には北アルプスが遠望できる。

景色を堪能して、そろそろ下山しなければならない。下りは新雪を思い切り楽しみながら滑り降りる。順調に滑り出したのだが、半分くらいで、M君のスキー板が折れてしまったのだ。
仕方なく片足で滑ったり、歩いたりして無事に下山した。そんな根子岳スキーツアーだった。

2月 根子岳

2月根子岳と言っても、この2月に登ったのではなく、何十年も前の2月8日に登ったことを思い出し、最近は冬でも簡単に登れるようになったものだと驚いたので、比べてみた。
根子岳は、長野県の菅平高原の背後に、緩やかな大斜面の裾野を広げた2207mの大きな山で、南の四阿山2333mと並んでいる。根子岳へ登ると四阿山まで足を伸ばす人も多いようだ。

四阿山は日本百名山に数えられているが、根子岳は花の百名山として、春から秋にかけて様々な花が山全体を彩る。無積雪期の根子岳の登山ルートは幾つかあるが、昔からある牧場コースがポピュラーだ。
このコースの登山道は、山頂方向へ直登的に尾根を越えていく。なだらかな登りだが、頂上付近が見え隠れするが、なかなか着かないコースだ。途中牧場に放牧されている牛、昔は馬も近づいてきて、ホッとしたり、ヒヤッとしたりの道中だった。
牧場から、白樺林ダケカンバ林などを通過し、標高2000m付近で広い草原の風景に変わる。

菅平高原は、私の実家の保科温泉から、車で30分もあれば行けるところで、その途中の山々は春の山菜、秋はキノコと子供の頃は、大人についてよく行った。そんなことで、菅平も度々訪れていた。
菅平は、今でこそ夏はラグビーなどのスポーツ合宿が盛んに行われているが、昔は高原野菜農家が多く、その出荷のトラックが毎日何台も、実家の近くの県道を通り、長野市内の市場へ向かった。
菅平は、小学校の夏期校外活動では、キャンプをして、根子岳登山をしたし、私たちの子供やいとこ達と一緒にも登った山だ。

こんな風に、昔のことを書くとジジイになったのかな?なんて気もするが、逆にこんなにも簡単に根子岳スキーツアーが出来るようになったなら、こんど挑戦してみようという気になってきた。
あの頃は、スキーを担いで、足は深い雪にスポッとはまってしまう様なことをしながらも、山頂にたどり着けた。今度は雪上車に乗らなくても、その踏み跡をスキーで辿れば楽ちんに山頂に着ける。天候さえ良ければ・・・この辺りは気温は下がるが、天気は冬期でも安定する地域なので、楽しいスキーツアーが出来そうだ。

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2019 Feb. tama
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