故郷…冬景色そして…
♪兎追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷
♪如何に在ます 父母
恙なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出ずる 故郷
子供の頃は野山を駆け回り、遊んだ風景を遠い地から懐かしく、生まれ故郷から離れて住む私には、歌詞から風景が浮かんでくる。
父母は亡くなったが、やはり生まれ育った故郷は、何につけても気がかりで思い出すところだ。
母の三回忌の法要があったので実家へ行った。いつもは車で行くのだが、今回は大雪だったので、電車で行って来た。
最近は車ばかりで、電車は久しぶりだ。子供の頃は、汽車で6時間とか8時間もかかって行き来した。
その後は「特急電車あさま」で3時間という時代があり、今では新幹線に乗れば、1時間半で長野に着いてしまうのには、驚きだ。
故郷と言うと、遠いところにある感じだが、そうではなくなった。
前日の夜中から降り始めた雪は、その日の午前中まで降り続き、長野に降り立った時は、チラチラ雪は舞っていたが晴れ間も覗き始めた。
実家は、長野駅から車で20分。山に囲まれた保科川扇状地の奥にある。
チラつく雪で、この地の最高峰・保基谷岳、菅平高原方面は見えないが、河岸段丘に点在する集落は、久しぶりの大雪の下に埋もれながらも、その佇まいはいつものままだった。
子供の頃は、こんな大雪が降ると大喜びで早起きをして、大人と一緒になって雪かきをした。
自分の家から集落の大通りまで雪かきをしていくと、近所の人たちも同じようにしてくるので、合流して集落の大通りを雪かきをしながら、バスが通る県道まで皆で雪かきをしたものだ。
今では、市が建設業者に委託して、積雪があると除雪をしてくれるようになった。
この日も、実家に着いて辺りの景色を見ていると除雪車が、道路の拡幅をしにきた。たぶん2回目の除雪のようだ。
便利になったが、昔のように近所の人たちと協力して何かをする機会が少なくなっているようだ。
この大雪では、どこを見ても雪だらけ。庭の片隅の露地の植木には大きな雪帽子が沢山出来ていた。
2〜3か月前まではたわわに実った大きな赤いリンゴを付けていた木も、今は枝にふんわり綿を付けたようにして、じっと春を待っているようだ。
大雪で餌を探すのが難しくなったのか、もうほとんど食べつくされた柿の実の蔕に残っている果肉でも突いているのか、エナガやヒヨドリの群れが飛んで来ては、一時にぎやかにして、また飛んでいく。
この地区の西側に横たわる低い山が、まず耀き始める。
新幹線あさまの車窓から浅間山を見たが、雲の中。
太郎山の反対側の地域は、北向きの地形。
山の上に陽が当たり始めても、山際の集落に陽が届くのには、まだまだ先。
日暮れも早く、午後4時前には、陽が当たり始めた辺りの山の陰に隠れてしまい、冬の日照時間は少ない。
裏山の杉の木は、真っ直ぐに伸びて幹は、今回の大雪で綺麗に雪化粧されていた。
まだ、朝陽は届かない。
こんな山里も昼近くになると、南向きの実家では陽が射して窓越しではポカポカの春のような暖かさになる。
そんな中、母の法要が始まろうとしたとき、庭の片隅の露地に突然何かが、隣家の石垣を落ちるようにして現れた。一瞬犬かと思ったが、大きい!
すると、石垣の上に植えてあるアオキの葉っぱを食べ始めた。よく見るとニッポンカモシカだ。至近距離、5mと言ったところ。
住職は、お経を始めるところだが、参列している我々は外が気になって仕方ない。
お経が始まって、鐘の音や木魚の音がするけれど、お構いなく葉っぱを食べる。
今回実家に行くと、長男の兄が地域の人たちと数年前から手掛けてきた、「保科誌」という分厚い本が刊行されたので、いただいてきた。
この本は、昨年11月に行ったときは、最終原稿チェックをしていたので、刊行はまだ先のことと思っていたが年末に完成したとのことだった。
この本は、故郷の歴史・文化・自然をはじめとして、故郷のあらゆることを写真をふんだんに取り込んで書いてあり分かりやすいものとなっている。
ページをめくっていくと、子供の頃やった神事のことや学校のこと、色々なことを思い出させてくれる。また、歴史や遺跡、自然など自分が知らなかったことなど書かれていて、出身者としては興味深い本だ。まだ、ほんのさわりしか読んでいないが、読んでいくとそうだったのか、と言うようなことが沢山あるようだ。
それと、父母や知り合いの人たちの若かりし頃の仕事ぶりや、いろいろな活動していたことなども書かれているとのことなので楽しみだ。
故郷を離れて数十年、父母が居なくなり実家への足は遠のくが、それでも何かある毎に訪れる。
そんな故郷は、時代とともに変わってきている。そこにある山、川、風景も変わって来てはいるが、その景色を見ても、昔の景色と重ね合わせて見ることが出来るのが故郷だ。