梅雨入り前のひと時

この朝、久しぶりに行った実家の庭先に立って、少しずつ変わっていく辺りの景色を見ていた。
ここは、千曲川に流れ込む支流の川が拓いた扇状地の最奥端で、山に囲まれた場所だが、近くに温泉があったりして、近年住宅が増えている。しかし、この辺りから更に奥にある集落では、年々空き家が多くなっているようだ。

そんな静かな時が流れていた朝、何処からともなく野鳥の鳴き声が聞こえて来て、ひょっとしたら前に見える向かい側にある山の林道を歩いたら、野鳥の姿が見えるかもしれないと思い、行ってみた。

今回、実家へ行ったのは、古くなった実家を建て替えるので、壊す前にこの家で育った兄弟、叔母、甥や姪が集まった。
実家は、大正五年に起きた大火によって消失した後、建てたものだそうで築九十数年経っている。祖父母たちが建てた家だ。

この大火では、村の四分の一を焼く大火で、実家のすぐ近くにあり、平安時代からの歴史をもつ、名刹清水寺(せいすいじ)でもほとんどが焼けてしまったそうだ。
本堂・鐘楼・仁王門・大日堂・三重塔・薬師堂・観音堂・念仏堂・経堂などと、これらの堂舎にあった大日如来、四天王立像、五智如来、千手観音などの神仏像などが消失した。
この家は、長い年月のうちにずいぶん変わった。
屋根は、茅葺き屋根からトタン屋根と瓦葺に変わった。
お風呂は木桶風呂からタイルを貼った銭湯のような風呂に変わった。
木桶風呂の本体は、木製の桶だが下から火を焚くので火傷をしないように、風呂の中に木製の円盤状の中床を入れておいて、
入るときにその上に乗って沈めて入るのだ。これが結構微妙なバランス技がいる風呂だった。
東京育ちの従妹が夏休みに来た時に言うには「たらいのお風呂」だと、でも楽しい風呂だった。
お勝手もずいぶん変わった。薪を焼べていた竈からガスレンジへと。
この林道を歩いたのは、もう何十年前になるのだろう、小学校の頃だったか、確かな記憶は無いがこの山道を歩き、その終点に清水が出ている場所があり、そこにサンショウウオがいるというので、兄たちだったか、友達だったかと行ったことがある。ここは、実家から見える河岸段丘を隔てた反対側にある山で、まったく奥山ではない。

林道へ行くには、実家側から一旦川が流れるところまで十数メートルの標高差を下りて、同じくらいを登ると、林道の起点に着く。

ここは、杉林になっているが、中学の頃は、伐採後で背の低い雑木林になっていて、この斜面でスキーをしたことがあった。

今は、直径が30cmくらいになった太い杉が立ち並び、生育を助けるために一定の間隔で伐採もされ、珍しく手入れをされた杉林となっていた。
この林道、歩いて10分ほどで終点に着いてしまったが、子どもの頃はかなり長い道のりだったような気がした。

林道に入り歩きだすと、思っていた通りキビタキの鳴き声が、林の中から聞こえてきた。
鳥を見に行くつもりなら、林の中へ入っていくのだが、この朝は姿よりもこの林道を歩く気持ちよさの方が勝っていた。
まだ涼しい朝の空気の中、杉林の隙間を通り抜けて射す朝陽が心地いい。

歩きながら気持ちは何十年か前へ・・・あの頃は、この林道は杉が今のように枝打ちや間伐されていなく、鬱蒼としていたような気がする。
そんな林道を子どもたちが、他愛も無いことを話しながら、時には親から聞いた話しを如何にも知っているように・・・そんなことが、面白かった。

いろいろなことを思い出しながら歩いていたら、終点に着いていた。
あの頃は、木材を切り出すためにトラックが方向転換できるスペースがあったように思うが、今は草ボウボウ。サンショウウオがいた水場も確認する気にならず引き返してきた。
でも何十年もの歳月は、昨日のことのように思い出された。
子どもの頃は、お勝手には大きな竈があり食事の煮炊きはすべてこれで遣っていた。横2m縦1m高さ50cmくらいで、真ん中に屋根を貫く煙突があり、直系50cmくらいの鍋や釜を架ける穴が開いていて、鍋釜の大きさにより穴の大きさを調整できる鉄製のドーナツ状の輪があった。
母や祖母からご飯の炊き方を教わり、手伝いでご飯を炊いたことがよくあった。
世間で言う「はじめチョロチョロ中パッパッ」っていう炊き方は違うような気がする。お釜は、重い木蓋をのせて炊くが、最初に強火で沸騰させ、中から吹いてきたら沸騰が続くだけの火力まで火を弱める。ご飯の上面にぶつぶつと穴があいたら、火を焚くのをとめて、熾き火にして蒸らす。
こんな炊き方だったと記憶している。

まあ、いろいろな思い出がある家だが、新しい家になることも楽しみだ。上の絵は、どこかのおじさんがフラッと来て、絵を描いて置いていったものだそうだ。数年前に死んでしまった「シロ」も描かれている絵は、居間に飾ってあった。
最近は、あまり鳥見に行かないが、昨年の今頃クロツグミの番いがいた、湿原続きの森へ行ってみた。運がよければ、また見れるかと思って行ったのだが、今年は見れなかった。
それでも、初夏を思わせるカッコウとホトトギスが森の中を飛び回り、すぐ近くで鳴いているかと想えば遠くから聞こえてきたりしていた。すぐ近くではキビタキが囀っていた。
森の地面にはニリンソウが沢山生えているが、花の最盛期は過ぎてしまい、今は遅咲きの白い花がところどころに咲いている。
森から続く葦が生える湿地帯は、まだ今年の葦は生えていなく昨年の枯れ葦が朽ちていくところで、この湿原はリュウキンカが一面に咲くのだが、これももう最盛期が過ぎてポツンポツンと株になって咲いている。

今年は、梅雨入り発表と同時に雨が降り出し4日間降り続き、しかも各地で平年6月に降る1か月分を超える大雨となった。こんなことは観測史上初めてのことだとか、最近の天候は驚くことばかりだ。
今までの梅雨入り頃は、6月10日前後で梅雨入り前の6月初旬は意外といい天気の日が多く、梅雨入り前のお出かけにはいい時季だ。

今回も、そんな梅雨入り前のひと時を田舎へ行ってきた。
この時季、晴れれば真夏のような暑い日になるが、朝夕はまだまだ心地いい気温で過ごしやすい。
信州の朝夕は、涼しいというより寒いくらいだ。寒いと言っても冬などの寒さではなく、清々しい冷たい空気に触れる感覚だ。

季節は初夏だが、標高が高いところは漸く春が訪れ、ミズバショウ、ニリンソウやリュウキンカの花が終わり少しずつ夏に向かっている。
平野部ではリンゴやモモなど果物の花が終わり、今はつき始めた実の摘果という作業中だ。授粉後、実が大きくなってくるので、中心の実だけ残し、まわりの実は切り落とし一つだけ大きくする作業だ。

生まれ育った家でのことをいろいろ思い出し、そして変わり行く田舎の風景も、子どもの頃と比べながら思い起こされた。
いい時季に、いいひと時を過ごせた。

森の地面にはニリンソウが沢山生えているが、花の最盛期は過ぎてしまい、今は遅咲きの白い花がところどころに咲いている。

湿原の脇を流れる小川に沿ってミズバショウが茫々に伸びている。
ミズバショウは、花が咲く頃は20cm〜30cmくらいだが、今はかなりの丈にまで伸びて、もっともっと大きくなろうとしている。このまま伸びると1mにもなる。大きくなった葉っぱがバショウに似ているからミズバショウと言うらしいが、それほど似ているとは思えない。

以前にも書いたが、植物の命名はけっこういい加減なものが多く、直感的あるいは見た目、生えている場所等々だ。

この頃は、春の花は時季的に遅くリュウキンカも咲き残りが少しずつ固まりで咲いている程度。最盛期は湿原いっぱいに黄色い花が咲いているのに…

今咲き始め、これから見時なのはベニバナイチヤクソウだ。
森の下草と一緒に群落になって生えている。
茎から出ている花は、蕾だと赤ピンクの丸いボール状に見えるが花を開けば、花びらは薄ピンク色に見える。
これが雑木林の根元を透かすように見ると、一面にピンク色で染まる。地味な森の地面が華やかになるときだ。

この森には、ベニバナイチヤクソウとともにチゴユリの白い花を見ることができる。同じ地面に青々した葉っぱをつけた茎の先端に白い6枚の花被片をひろげて咲いている。

秋には赤い俵のような実を付けるが、この赤い実がやたら多くみられるので、果たして春にこんなに多くの花が咲いていたか知らんと、その時は思い起こす。

子どもの頃の風景がどんどん変わっていく田舎だが、川もその一つだ。
小学校に行き始めた頃だったか、大きな台風が来て、それまでは護岸工事などしてなく、幹線道路と並行するように扇状地の真ん中を流れていた川が、大洪水をおこし道路や田んぼ、畑を流して行き交う道路もなくなってしまった。
それまでは、学校帰りに道路からすぐ脇を流れる川に入り石積みをしたり、大きな石に腰掛足だけ水に差し入れたりして遊んだ。そんな川が変わってしまったのだ。
山に囲まれ水量も豊富な川だが、珍しいことにこの川には魚が生息していない。川の上流に鉄分を多く含む地域があり、そこから流れ込む水によって生息できないと昔から言われている。

水害後は、護岸工事が行われ簡単に川に入るようなことも出来なくなった。そして子どもたちの遊び場の一つだった川が、堤防を歩きながら帰る道の一つに変わった。
そんな川を橋の上から眺めると、音を立てしぶきを立てながら激しく、平らなところは音も無く流れ、この流れで遊んだ何十年か前に思いを馳せた。

今は田植えの時季だ。
早朝の田んぼの畦道を歩くとカエルがあちこちでケロケロ鳴いていた。
水を満々と張った田んぼには早苗が植えられていた。きれいな一条の線が何本も同じように並んで植えられている。
今は機械で田植えをしているのだろう。同じ間隔を保ち微妙な曲線を描きながら植えられている。
この頃では人手を集めるのも大変だろうから…。

また、子どもの頃の田植え風景が思い浮かんだ。あの頃は田植えだと近所の人を頼み、沢山の田んぼを持つ農家は何日もかけて田植えをしていた。
子どもたちも一人前のような顔をして、頼まれもしないのに親について田植えに行ったり、隣家の田植えを手伝うと言うより、かえって邪魔をしに行った様なものだ。
でも、あの頃の大人たちは、そんな風には扱わず一人前のように大人の間に入れて田植えをさせてくれた。

ここに写っている田んぼに入って、泥んこになって田植えをしたことが昨日のように思い出される。
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2014  Jun.10    tama
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