2013年 この1年

今年の初日の出は、低空に雲が漂っており、日の出時間より15分位してから、
漸く顔を出した。初日の出に、家族の健康とすばらしい歳になることを祈った。
今年の初富士も雲が漂う中、朝陽に薄っすら朱色に染まりながら、
いつもと同じように見えていた。
1月、今年の成人の日は、爆弾低気圧の大雪で首都圏はダウンした。
朝のうちは雨だったが、いつの間にか雪に変わって、かなりな勢いで
降り積もっていった。
東シナ海で発生した低気圧が、日本の南岸で発達しながら東に進み、
八丈島の北を通ると雨、南を通ると雪になるという。
そんな中、娘から買い物に行けない!と。仕方ないので車で迎えに
行き、スーパーマーケットへお買い物。
車には、既に10cm近くの雪が積もっており、長靴を履き雪下ろしをして
出かけるが、雨から変わった雪だけあって、ビショビショ重い雪だ。
その代わり、車で走るには急ブレーキさえかけなければ、タイヤは滑らない。
孫は初めての雪を見て、何か不思議なものを見るような
感じだったが、結構喜んでキャッキャキャッキャ!
こんな日の成人式は、大変だろうなと、さすがに晴れ姿の
若者の姿は、全く見れなかった。
翌日は、快晴雪景色の向こうに、真っ白な富士山が綺麗だった。
1月末、1歳になった孫、いろいろと小知恵がついてきて、気に入らないと怒ったり、
まだ訳の分からない言葉を発したり、それでも意味の分かる言葉も口にするように
なった。
まだ、這って歩くのが主だが、伝い歩きが出来るようになり、ほんの一瞬
歩く姿を目にすると、「あっ!歩いた」なんて外野は騒いでいる。
ケーキにローソク1本を点し、待ちきれず手が伸び、クリームがついた手を口に、
初めての味にちょっと怪訝な顔つきをしてみたが、口端にクリームをつけた顔が、
すぐに笑顔になって、写真に収まった。
孫は、1歳2ヶ月になり、益々行動が活発になってきた。四つん這いから
伝い歩きになり、最近ではほんの数歩歩くようになった。
コンセントを抜くのも得意技の一つだ。コンセントを抜くと、叱って手を軽くたたく。
すると今度は、コンセントへ向かっていき、私の方を振り向いてにっこりしてから
コンセントに手を掛けようとする。孫にからかわれているようだ。
ある日、娘に買い物を手伝ってくれと、日曜大工センターへ行き、娘の所でちょっと
日曜大工。
すると孫が、歩きはじめた。今までのようではなく、まだまだだが、ヨチヨチといった
感じで歩いたのだ。
なので、この日は、ヨチヨチ歩き始め記念日だ。

今年の漢字というのがある。1995年から始まり、12月12日漢字の日に発表されてきた。その年の世相を表し、その年をイメージする漢字一字だ。大きい地震があった年は、「震」とか「災」2011年は震災から立ち上がるために助け合ったり、人びとの繋がりを改めて認識した「絆」が選ばれた。
2013年は、「輪」が選ばれた。7年後の東京オリンピックの招致に皆の輪が広がったことからだとか。
最近の世の中は、人との繋がりが希薄になってきているので、こうした漢字のような、人と人の繋がりや他人への思いやる気持ちを本当に持って生きて欲しいと思う。
今年は、荒れ狂う天候に大きな被害があった年だったり、富士山が世界文化遺産への登録がされた年でもあった。

さて、我が家の話題といえば、もうじき2歳になる孫だ。
成長と共にいろいろ面白いことをして楽しませてくれたり、
ハッとする心配事をしてくれたり、ハラハラドキドキ! 
誰かが言っていた言葉で、男の子の2歳は「魔の2歳」だとか。
その2歳、来年はどうなることやら・・・

6月、富士山の世界文化遺産への登録が決まった。
我が家からは、天気さえ良ければ、朝な夕なにいつでも見れる富士山が、世界文化遺産に
登録されたと言えば、何か他人事ではないような気がする。
登録が決まったけれど、喜んでばかりではいられない。これによって、富士山を美しく、大切に
護っていかなければならないからだ。
富士山といえば、たった一度だけ登ったことがある。1974年12月8日だ。もう40年も前のことだ。
山へ毎週行っていた頃で、山岳会の仲間との山行だった。
前日の夕方、東京を発ち夜のうちに5合目の駐車場に着き、テントで一夜を明かし、明るくなった頃出発。
約3時間で頂上に達した。
初冬の本格的な冬山になったばかりだったが、頂上直下ではアイゼンを着けて登った。
やはり冬の風が冷たく、頂上には長い時間居られず、早々に下山した。でも、冬にしては
穏やかだったことが、印象に残っている。
でも、シーズンが終わった富士山は、汚かった。という印象が今でも残っている。
今では、山小屋のトイレはバイオ技術の普及で、汚物も綺麗になったり、下界への搬出も出来
ているのだろうが、あの頃は、シーズンが終わった山小屋のトイレの汚物は、山肌の斜面に
垂れ流し状態があきらかに目で分かり、乾いたトイレットペーパーがあちこちに散乱していた。
それ以来、富士山は1回登ればいい山、見る山。遠くから見て綺麗な写真にしたり、朝な夕な
に見て楽しむ山になった。
最近は、機会があれば、もう一度くらいゆっくり登ってみたいような気もするが、よく見るTVの映像では、行列を成していて、あれでは嫌だなって気がする。
ゆっくり登るには、シーズンを外せばいいのだろうが、そこは日本一の山、天候が特異なので、おいそれとは行けない。やっぱり、眺めている山なのだろうか。

異常気象?天変地異?
7月、8月と猛暑、酷暑と言いようがないような暑い夏が続き、9月、10月も異常気象で各地で大きな被害が出た。

秋の高気圧と、夏の高気圧とが陣取り合戦。
秋がどんどん北から押してくるが、まだまだガンバルぞーと、夏空。
モクモクと勢い良く入道雲を湧き上がらせて、今までこんなに立派な雲を湧かせなかったのに、今頃になって、夏の奴が威張っている。
見事な入道雲に見入ってパチリ!でも、その下では竜巻が発生して、あっという間に日常の生活を失ってしまった多くの人たちがいたのだ。
スーパーセルと呼ばれる巨大な積乱雲が発生し、埼玉県と千葉県の約19km、幅100〜200mを竜巻が移動して、大きな被害をもたらした。

夜が明けない暗闇で、ピカッと光り、全天を揺るがすようなドドドド〜ンと雷鳴が鳴り響く。雷神が太鼓をたたくようなドンドンドンという雷鳴。
一晩中、稲光・雷鳴、大雨が降り、朝になっても黒い雲が雷鳴と共に慌しく動き、大雨を降らせていた。

連日の竜巻の発生!そして久々の震度4の地震!大きく揺れた。
こうなると、もう異常気象?というより空模様からすると天変地異かと、そんな風にも思える夏だった。
もう夏の様な異常気象の被害は無いだろうと思っていた10月、伊豆大島で起こった台風26号による土石流災害。

11月中旬からは、話題のアイソン彗星を探して、早起きをしていた。
アイソン彗星は11月29日の太陽最接近に向かって、ひと晩ごとに約1等級という急増光を見せていた。
「双眼鏡で観望でき、空の条件が最良なら肉眼でも見える明るさだ」とは書いてあったがるが、なかなか見つからない!あの尾を引く姿が見れないのだ。
まあ、明るい星とはいえ、ふだん星をあまり見ない人がすぐに空の中で見つけられるというわけではないようだ。
それでも、何とか証拠写真を撮った。22日の朝だ。左下が土星、中ほど上に水星そして右少し上にアイソン彗星がやや青白く尾を引くように見える。
アイソン彗星はいったん見えなくなり、太陽に最接近した後ふたたび明け方の空に姿を現すはずだった。
ただ、太陽に接近して熱で活発化した大彗星となって登場するか、核が崩壊して再びその姿を見られなくなる可能性もあるようだった。再び姿を現すかな?

アイソン彗星は消滅した?
NASAのHPによれば、アイソン彗星は11月29日に太陽に最接近したが、その後確認できていないと言う。
彗星は水や二酸化炭素、塵などが凍ったもので、太陽に最接近すると、太陽の熱で無くなってしまうかもしれないと言われていたが、現実になってしまったかもしれない。結局、今までより長い尾を引いて見えると期待していたが、見えなくなってしまった、残念!

毎年、12月になると、我が家から見る、太陽が富士山の頂上付近へ沈む。それも短い周期の間に2回見れるのだ。
太陽が富士山の彼方へ沈みかけて、頂上の天井部分にちょうど太陽がかかるダイアモンド富士だ。
12月半ばの夕暮れ時に見られた、冬至が過ぎて再び12月30日夕方、ダイアモンド富士が見られた。
冬至で太陽が一番南へ行き、そこからまた北へ移動し始めたのだ。

2013年もいろいろなことがあったが、何事も無かったように静かに暮れていく。
冬のあの寒さ、そして夏の猛暑だけが記憶に残り、かつての春の眠気を誘うような心地良い気候や秋の気持ち良い清々しい季節が無くなってしまい、両極端な気候になってきたような気がする。

いろいろ言っても、長い間の自然の営み、人間の営みによるものなので、致し方ないことだが、それでも自然はどうすることも出来ないが、人間のすることは努力することで、少しずつではあるが、改善される。
そんな次年になることを期待したい。
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2013  Dec. 31   tama
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