奇怪しい年の始まり
西の方に長く横たわる丹沢山系、日本一の富士山にも新年の朝日があたり始めると、薄ピンク色に染まり、こちらも穏やかな風景だった。
近所の街は、大晦日を夜更かししたのだろう、まだ寝静まった感じで、初日の出どころではないのかもしれない。あるいは、おせち料理をつついているのかもしれない。
とにかく、世の中は平和な新年を迎えたのだ。
自身の1月1日のブログには、以下のように書いていた。
「新年の朝も、静かに明けて、穏やかな一年であることを象徴するかのようだが・・・果たして???
元旦は、期待していたほどいい天気ではなく、10時頃には、雲が広がり富士山は雲の中へ隠れてしまった。結局一日中姿を見せず、夕方になって綺麗な夕焼けが、シルエット富士の一部を浮かび上がらせていた。」と・・・だからと言って、どうってことはないが。
【日の出から30分後、弧を描いた飛行機雲は崩れたが形はそれと分かった。】
それにしても、今冬の大雪・低温は、日本付近に断続的に強い寒気が流れ込んだためと言うけれど、1986年以来25年ぶりに1月としては北・東・西日本と沖縄・奄美まで、日本中がブルブル列島になっていたようだ。特に、いつもは暖かい西日本と沖縄・奄美の気温はかなり低かったようだ。
日本海側では、ニュースで毎日報じていたように、降雪量が多かったようで、東北から北陸地方にかけての山沿いでは3メートルを超える積雪となり、特に、新潟県では積雪が4メートルを超え、1月の月最深積雪の記録となったそうだ。
今回の地震の連鎖かどうか、大きな地震が発生した長野県の秋山郷。ここは、昔は大雪で3m4mという豪雪地帯。毎年冬季間は陸の孤島となっていたことを思い出す。
また、横手(秋田県)、米子(鳥取県)など北日本から西日本で1月の月最深積雪の最大値を記録したそうだ。横手、米子は、10月と8月に行った所なので、何だか身近に感じ心配していた。
東京・武蔵野市の成蹊中学・高校では、1963年から毎朝、富士山を観測しているそうで、
その間、見えた日数としては、1965年の年間22日が最低。その後、増え始め、99年には
100日を突破。2009年は101日を記録しているそうだ。
しかし、太平洋側では降水がなく、カラッカラで乾燥注意報がずっと出っ放しになっていた。
こんな風に、昨夏の猛暑に続き、異状な寒さと大雪で、もう今頃は、サクラの開花予想だのサクラが咲き始めたという報道があってもいい頃なのに、今年は無い。
漸く、4月の声を聞く頃になり、近くのバス通りのサクラがチラホラ花を開き始めた。
この頃は、ニュースと言えば、地震と原発の話題ばかりで、サクラが咲いたと言う報道は、あまり聞かない。
それにしても、今回の地震による津波の大きさには驚く。最近、よく一般の方が写したビデオ写真が流されているが、流される家々は積み木の家が流されるように、簡単に水に呑み込まれていた。しっかり土台を造って建てただろう家屋が一瞬の間に無くなってしまうのだから・・・自分のことを考えてみると、やっとの想いで手に入れた家を一瞬のうちに・・・考えただけで、おかしくなってしまいそうだ。それなのに、被災者の皆さんの気丈な姿には敬服する。
2011年の前半に、このような大きな出来事が起こり、気候の面から見ても変わりつつあるようだが、これは地球、宇宙規模で考えれば、これまでにも幾度となく繰り返されてきたことなのだと思う。マヤの預言者たちは、時代とは「太陽が生まれ、老いて、やがて死を迎える」という
ひとつのローテーションであると言っているが、それも一つの考え方だろう。
また、宗教家の人たちは、終末期を迎えるということを言っている。まあ、どれをとってもありえることだ思うが、我々は冷静な気持ちで生きていかなければいけない。
ちょっとした報道に、動かされ必要以上の買いだめ、買占めをしたり、ガソリンが無くなったといって、慌てふためいて周囲の迷惑も考えずに道路を占拠する行列。報道の仕方には大いに問題がある。
人として、最期になるかもしれないが、そんな時が訪れたなら、どうなるかは分からないが、冷静に居られれば、それは其れで良いだろうが、恐怖や驚きで冷静さを無くしているかもしれない。
人間が生きていれば、いろいろな事が起こる。我々が何とかしようとしても、どうにもならないことがほとんどだ。3月20日の朝は、珍しく太陽柱に近い現象が見え、何やら怪しげな朝を迎えた。16年の月日が経過して、人々の記憶から消えて行きそうな地下鉄サリン事件を思い出した。今回の地震津波の記憶も、何年か後には忘れられていき、また、災害が起こると思い出す。そんな繰り返しなのだろう。
こんな、奇怪しい年のようだが、穏やかな生活がおくられるようにしたいものだ。