9.11の朝散歩でみた光景は、平和な日常の姿だった。我々が、平凡な平和な日々を送っていても、人工的にしても自然的にしても、いつでもそれを破壊される恐れはある。
自然の力に対しては、どうすることも出来ないが、人間が悪意を持って行うことや、人間が利益追求のために偽り、悲惨な災害にしたものは許されない。

日々、平凡に何気ない生活を送れることが、一番幸せではないのだろうか。

公園への散歩道の途中では、もう花の盛りを過ぎたサルスベリが、根元から出た若木に遅れ花を咲かせていた。その花を、眉毛が下がって八の字口をした、変な顔をした石造が眺めていた。

通り道の脇に立ち枯れたヒマワリが、ガサガサに乾燥しきって、手を触れるとガリガリと音を立てて粉々になりそうに立っていた。

公園内の丘陵になった部分は、草が伸びると公園管理の人たちが草刈をするが、今はその直前らしく、草ボウボウになっていた。

おかげで、草の葉っぱに付いた朝露が見れた。朝露は、表面張力に因って丸くなっていた。あいにく、まだ太陽の陽が当たっていなくキラキラ光ってはいなかったが、陽が当たったらきれいに輝くだろう。

隣りのグランドでは、ラジオ体操の音楽が鳴り始めると、散歩していた人たちが一斉に体操を始めた。この光景は不思議だ。特に私のように、ひょいと行った人間にとっては、何かに操られているように見えて仕方無かった。
でも、老いも若きも…おじいちゃんと孫娘の体操風景は、なかなか和やかな光景で、出来ればこんな光景のモデルになりたい気分になった。

公園の球場では、早起き野球をやっており、散歩中の人たちも一休みしながら観戦だ。日中の観戦はつらいが、この時間帯は、まだ太陽高度も低く木陰となっているから涼しく、一休み観戦には持って来いのコンデションだろう。

道端の空き地にエノコログサが沢山生えていた。エノコログサの由来は「犬ころ草」の意味で、穂の形が子犬の尻尾に似ているからだとと言う。
ネコジャラシと呼ばれる事もあるが、この穂を子猫の前でゆすぶるとじゃれて遊んだことに由来するらしい。
英語ではエノコログサ属の植物を Foxtail grass と呼んでいるが、キツネの尻尾草であり、太さと質感からいえば、キツネのほうがふさわしいかもしれない。
いろんな風に言われるが、そんなことを頭に浮かべて見ると気持ちが和む草だ。

もう10年、あの日は夜勤で、夜9時過ぎにふと見たTVニュースで、まるで映画の一シーンでも見ているような画像を見たことが記憶にある。
何が起きたのか・・・結果的にはワールドトレードセンターのツインタワービルが崩壊する大惨事が起きた。
そして、今年の9月11日は東日本大震災からちょうど半年の日。
どちらも世界中に驚きと悲しみを伝える出来事だった。
そんな朝、低い雲の上を、その日の朝陽の光線が伸びていた。
平和の象徴の鳩が飛び回っていた。

9.11 朝散歩風景

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2011 Sep..18 tama

いつも賑わっているスーパーマーケットも、日中は静かなたたずまいを見せていた。あんな大惨事があったことをすっかり忘れてしまったような光景だ。当事者でない我々は、時間がたてば記憶から消えていく。そして、報道に触れて、またその記憶を呼び戻し、認識を新たにする。
いろいろな思いを抱きながら、朝の散歩をした。

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