光化門の内部に入ると、広〜い中庭があり、更に奥には興禮門、その奥には勤政殿、さらにまだいくつかの建物があった。

光化門の下にある3つの出入り口の天井には鮮やかな絵が描かれていた。左は、良くある竜のような顔をした馬。真ん中は、鳳凰だろうか、右は亀だが、顔は竜のような、ちょっと怖い感じがする。でもカラフルに描かれていて韓国風といった感じがする。

昔の大王の行列。中ほどに大王が乗った御輿、その後ろに后様の御輿と長〜い行列だ。】

【光化門の脇に立つ狛犬ではなく獅子?でも日本のとは少し違っていた。】

世宗大路の終点に光化門がある。

大雨の羽田空港で、座席に着き外を眺める。

個人まりとした到着したソウル金浦空港。

ソウル金浦空港へ着陸寸前の景色。

【朝鮮時代の初期のハングルで、現在のハングルとは違うそうで、若者は読めないと言っていた。】

光化門広場から光化門を見る。

駆け足ソウル見聞録

所用があって妻と2人で韓国ソウルへ行って来た。2人で海外へ行くのは結婚式・新婚旅行以来のことだ。
私自身が海外へ行くのは何年ぶりだろう。20代後半から40代前半までは、1年の半分以上は海外出張ばかりで、成田空港が開港した年でもあり、娘が誕生した年でもあったその年から、世界中へ飛び回った。
そんな生活も終わり、もう海外へは行かないだろうと思っていたが、昨年ひょんなことからパスポートを作ることになり、その時にいくはずだったが、時が過ぎ今回の旅となった。
出発直前まで大雨の荒れた天気だったが、当然のことだが、上空へ飛び上がればそこは青空が広がって快適な空の旅だった。たった2時間で異国の地へ到着。昔、ブラジルへ行くのに24時間近くかかったことを思い起こせば、楽なことだ。

空港から約40分でホテルに着いた。ソウルは道路が広く、片側3車線、車も多い。ホテルの前の道路を挟んだ向こう側は、米軍基地。
朝が早く、機内食も出たが、やはり昼時。迎えが来るまで時間があったのでホテルの周辺をウロウロ、セブンイレブンに入ったものの日本とは品そろえが違って、買う気にならず、さらに歩き回ると「あわび粥」のメニューが目にとまり、テラスのあるこじゃれたレストランへ入り、あわびのお粥を注文、気の利いたつけ合わせと一緒に美味しく、ソウルで初めての食事をとった。

3時に迎えが来たので、市内観光へ出かけた。
行きたかった所は、TVドラマ「アイリス」の舞台にもなった世宗大路と、それに続く光化門。光化門での銃撃戦は、ソウル市の全面協力で光化門広場一帯を12時間統制して進行されたそうで、映画やドラマを通して、初めて光化門広場での撮影が許可されたとか・・・。核爆弾を載せたバスがやって来るのも、ここの世宗大路。懐かしくドラマを思い出しながら歩いた。

片側6車線の世宗大路の分離帯は光化門広場になっていて、豊臣秀吉が朝鮮出兵をした時に、朝鮮水軍の主導的指揮官の一人として朝鮮水軍を指揮した李舜臣の銅像。世宗大王の銅像があった。
そして、ここの地下には、李舜臣、世宗大王の展示館がある。李舜臣の趣味は日記を書くことだったらしいが、その中の言葉に「死を覚悟して戦えば生き、生きようと戦いから逃れれば死ぬだろう。」というのがあるが、正にその通りだと思う。今も昔も、何事も必死で行えば道は開けるという、良い言葉だ。
世宗大王は、1418年に朝鮮4代王に即位して、「民は国の根幹であり、食は民の天なり・・・」と言い、愛民精神と民本精神に基づき、ハングルの頒布、科学技術、文化芸術、軍事、外交、農耕や天文の発達させ、この時代のルネサンスを開花させた。

ここもアイリスの舞台になった「清渓川」の通りから世宗大路へ出て行く。小路から世宗大路へ出ると、ガラッと様子が変わり、最奥には山が見え、その前には光化門、世宗大王の銅像、李舜臣の銅像が小さく見えている。

光化門広場の中心で、市内を見下ろしている世宗大王銅像
の後ろにある入口を入ると、地下は李舜臣、世宗大王の展
示館になっている。
豊臣秀吉の朝鮮出兵から国を守った英雄として知られる水軍の名将、李舜臣とその活躍について詳しく知ることができる。
また、世宗大王の生涯とハングル創製など偉大な業績をテーマにした「世宗物語」として展示もしてある。一人の人間としての世宗大王の生涯はもちろん、民を愛し、民を国の根幹だと思う「民本思想」を基に、科学・芸術・軍事など様々な分野における彼の業績を紹介してあった。
韓国語の生みの親である世宗大王は、韓国の1万ウォン紙幣にもなっている人物だ。
この展示館内では、韓国の伝統楽器で演奏会が行われていた。横笛と琴のような何弦かの楽器だ。聞いていると心地よくなり、どこかで聞いたような曲かとおもえば、日本の曲「千と千尋の・・・」など日本の曲が演奏されていた。

世宗大王の銅像。銅像の台座にはハングルで書かれているが、昔のハングルのようだ、若い人は読めないとか。
李舜臣の銅像。夕方になると銅像の周りに噴水が出現した。

翌日は、ソウルの北部にある住宅地へ行って所用を済ませ、繁華街の明洞へ行ってみた。地下鉄4号線の水踰駅から電車に乗った。ソウルの地下鉄は、日本より安全で綺麗だ。最近日本の地下鉄もホームドアを付け始めたが、ソウルのホームドアは、完全にホームと線路を天井まで仕切っているので騒音も少なく快適だ。

ホームと線路が天井まで仕切られているホーム。 ホームの表示も大きく見やすい。電車の車内には、時々昔の傷痍軍人のような人が音楽をかけながら、首から募金箱のようなものを下げて車内を移動したり、物売りが移動しながら、何かを売って歩いていた。改札は切符代わりにカードを買ってセンサーに当てて通るのだが、ゲートが自動で開くわけではなく、身体で押さなければ通れないので、体力がいる。

明洞駅の改札

明洞の駅を出て繁華街に出たが、何か東京の原宿と言った感じで、全く違和感がなかった。でも、街は日本よりゴミなどなく綺麗だった。有名ブランド店など居並ぶ街を歩いて、ちょうど昼時。案内人に、せっかく来たのだから韓国の焼肉を食べたいと、美味しい焼肉をいただいた。日本とは違い、野菜がいっぱい付いて、お値段も安くて良い昼食だった。

明洞の繁華街お散歩も飽きてきたので戻ることにした。駅に戻りながらビルの合間にソウルタワーが見えてきた。まだ時間があったので、ソウルタワーへ行ってみることにした。
駅前からタクシーに乗ってロープウェイー駅に向かうが渋滞で動かず、運転手が言うには外国人のパスポートがあれば、一般車は入れないが
タクシーでタワーのすぐ下まで行けるというので、急遽ルート変更してタワーへ向かった。
麓の駐車場からバスが出ていて、通常は乗り換えて行くのだが、ゲートでパスポートを見せたら、タクシーでそのままスイスイ山の上へ行けた。

タクシーを降りて、2〜300mの急な坂道をタワーの下まで歩かなければならない。ここは老若男女関係なく一生懸命歩いて歩いて行くだけ。山の頂上にはソウルタワーが建っていた。日曜日とあって混雑で上には行けなかったが、展望台から見るソウル市内は春霞で薄っすらとしか見えない。サクラの名所の国会議事堂のサクラは、既に散ってしまったが、山のサクラはまだまだ見れる状態だった。

ソウルタワーのある山は、南山烽燧台として、近境の緊急な軍事情報を中央政府に知らせる通信制度があった。昼間は烽火で夜間は火の明かりで信号を送ったそうで、5基並んでいる石釜のようなものに窓があり、知らせる方向があったようだ。

この日は、日曜日だったので、南山烽燧台隊の伝統武芸と伝統の民族舞踊が行われていた。太鼓とドラを鳴らしながら、帽子に付けた白い長い紐を頭を回したり振ったりしながらクルクル回す見事な舞踊だった。

午後5時過ぎ、短かったソウルを去るために空港へ着いた。たった2日間だったが、無事に用も済み、おまけにソウル市内の見学も出来た。
日本と時差はないが、西に位置しているため日の入りは遅い。離陸が19時だったので、機内に入りちょうどランニングウェイを走行中に陽が沈むところだった。そして離陸後上空で水平飛行に入った頃、空の上ではちょうど地平線のかなたに沈んでいく夕陽を再び見ながら帰国の途に着いた。

初めての国、韓国は一番近い国だったが、自分の人生の中では一番最後に訪れた国になるだろうと思う。
今まで行った国は、行く前にハラハラドキドキしながら、こんな国だろう、あんな国だろうと、いろいろ想像しながら行ったものだった。でも、今回は、それほどあれこれ考えずに行き、行ってみると全く違和感がなかった。書いてあるハングルは読めないが、英語、日本語表記がしてあるためだ。
それに空港でも、イミグレーションやカスタムクリアランスでも日本語で応対してくれるので、国内と同じ感覚だった。それに何と言っても飛行時間が短いことだ。行きは2時間、帰りは1時間45分食事をしていたら、すぐに着いてしまう。沖縄へ行くのとかわらない。

また、行っても良いかと思う国だ。
HOME
back to Nature Info
2011 May 8 tama
inserted by FC2 system