江の島
朝からカンカン照りのいい天気だった。
朝のニュースが終わり、天気予報で江の島と周辺の海や海岸線の様子が映し出された。この映像は、定点カメラによるものらしく、しばしば見る映像だが、どうも海の色がしていない。いつも見ていて、妻は昔のように綺麗じゃなくなったわね。と・・・
汚れていると言うのではなく、本来の?青い水色、青緑色ではなく、濁っている様な感じの色だ。でも天気の具合やカメラの位置にもよるので何とも言えないが、昔とは違っているような気がする。
そんな様子を見ていたら、妻が江の島へ行ってみたい、と言い出したので、天気も良いし、もう何年どころか何十年も行っていなかったので出かけてみた。
記憶にあるのは、娘が2、3才くらいだと思うが、波打ち際の岩場へ手を引いて出てカニだったか貝だったか見つけたことだ。・・・あれ以来と言うことだ。
車で行くのも、面倒なので電車で出かけた。新宿に出て小田急に乗れば、江の島まで直行だ。それもロマンスカーだったらもっと速いだろうと・・・聞いてみると江の島へ行くのは午後3時までないという。
シーズン前だから、当然だろうが・・・それでも快速急行というのがあり1時間で行けた。
駅を出て橋を渡る時、河口から漂ってくる磯の香りが懐かしく、海へ来た〜という実感がわいてきた。
道路の下をくぐり、江の島へ渡る江ノ島弁天橋を歩き始めると、緑の樹木がこんもりと島全体を覆ったような江の島が真正面だ。橋を渡りきると、江の島の玄関口「青銅の鳥居」が建っている。この鳥居は古いもので文政4年(1821年)に建てられたそうだ。
緑青でも吹いているのだろうか、表面が青緑色のさびのように見えた。
鳥居をくぐってすぐに、緩やかな勾配の参道を歩き始めた。
駅に着いたのが12時5分前だったから、ちょうどお昼だ。参道の両側には食堂が並んでいて、お腹が空いたので食堂へ、でもいっぱいなので名前を書いて外で待機。
ここは、シラスが有名?なのか、皆シラス目当てのようだ。
なので、ここはシラスイクラ丼と刺身シラス定食をいただくことにした。
腹ごしらえも出来たので、参道を登って行くと、真正面に大きな赤い鳥居と、その奥には竜宮城を思わせる瑞心門が、島の大きさの割りに大きすぎるような門だ。
ここは、江の島神社の本社辺津宮だ。源実朝が建永元年(1206)に創建したそうで、現在の辺津宮は1976年に改築され、海の守護神タギツヒメノミコトが祀られている。
その脇にはエスカーという乗り物(エスカレータ)が設置されていて階段を登るのが大変な人はこれを利用しているが、私たちは階段を登り、江島神社中津宮へ。
中津宮は、赤い柱も鮮やかに私たちを迎えてくれた。慈覚大師によって仁寿三年(853年)に創建され、元禄2年(1689年)に再建、昭和55年に改修。その後、平成8年に大改造されて今の社殿になったそうだ。登ってきた参道の階段を社殿から振り返って見ると、境内の石畳の先に海が見えていた。
次の階段を登り始めるところには、鎌倉や三浦半島を見渡せる絶好のビューポイントがあり、眼下には1964年、東京オリンピックのヨット競技場として誕生した江の島ヨットハーバーが見え、沢山の白い船体がシーズンを待っていた。.
中津宮から階段を上り詰めると、漸く江の島の天辺へ出たようで、平らな場所に出た。
進むと奥津宮へ通じる石畳が続いていた。
私たちは、左手に広がるサムエル・コッキング苑へ行くことにした。
サムエル・コッキング苑は明治15年(1882年)からアイルランド人の貿易商サムエル・コッキングがこの場所に私財を使って大庭園を造ったことに始まるらしい。
この時期、綺麗な花がたくさん咲き乱れていて、なかなか見事なものだ。
ちょうどフラワーフェスタが終わった後だったが、ウインザーバラなどが華やかだった。
この辺りは、トビがもの凄く沢山飛んでいて、展望台で見ていてもすぐ間近に飛んで来るのでギョッとすることもあった。
いつだったか、TVのニュースで、海の近くの公園でバーベキューをしていて、肉を焼こうと持ち上げた瞬間トビが飛んできて肉を持って行った光景を見たが、ここでも馬鹿面をしていたらそんな目に遭いそうだ。
苑内のビューポイント、マイアミビーチに似ているMiami Beach area。後ろのLon Cafeは満席。
江の島からのビューも楽しんだので、再び下の参道へ戻ってきた。
行きの道すがら、大きなせんべいを食べながら歩いていた人が沢山いて、美味しそうだったので、帰りに食べようと戻ってきたのだ。
参道でも軒先に人だかりが出来ている店、朝日堂だ。このせんべいは、タコせんべい。小さなタコと少量の煉った粉をプッシューっと圧縮しながら焼くので数分かかる。
でも、客を待たせながら、中で4人して焼いているが、その中の一人、コーヒーBOSの宣伝に出てくる宇宙人ジョーンズ似の外人のおっさんが、客にせんべいの切れっ端をくれて、何やら上手いトークをして客を飽きさせないでいた。
【コーヒーBOSに出てくる宇宙人ジョーンズ似の外人のおっさん】
そろそろ歩き疲れてきたし、暑いので帰ることに・・・その前に、娘が小さい頃下りて遊んだ磯辺に行ってみることにした。でも、何だか様子が違っていた。
昔は、確か旅館があってその脇を通って磯辺に出れて、そこでカニや小魚を見たり貝殻を拾ったり出来たはずが、ホテル?が出来ていて、その脇を海へ通じる小道があったけれど、コンクリートで固められ海のところでスパッと切れていた。
コンクリートの壁の上を見ると露天風呂にでもなっているのか、数人のお姉さんが顔だけ出していた。ちょっとがっかり! 磯辺に出れなく、江の島の情緒が無くなってしまった。
また江ノ島弁天橋を渡り、渡りきった所で振り返って見ると、石灯籠が大きく聳えていて江の島は、はるか遠くに緑の樹木にこんもりと包まれていた。今度はいつ来れるだろうか、だって今回だって二十何年かぶりに来たのだから、分からない。やっぱりここの海の色は、また来て見たいという色ではなくなっていた。
国道134号の下の地下道を抜けて、境川にかかる弁天橋を渡ると、小田急片瀬江ノ島駅の駅舎が見えてきた。来た時は、前に進むことばかりで駅舎のことなんか気にしていなかったが、良く見るとずいぶん目立つ駅舎だったのだ。
まるで、乙姫さまが住む竜宮城のような駅舎なのだ。
浦島太郎・・・子どもの頃、絵本で見たような建物だ。絵本では、周りに海藻が揺れて、魚が泳いでいた・・・そんなイメージが浮かんできた。
・・・海辺で子どもたちに虐められている亀を助けた浦島太郎は、亀に「礼がしたい」と言われ、助けた亀の背中に乗って竜宮城へ行くと、乙姫さまに迎えられ、踊りや食事の歓待を受けたが、三日たって、さすがに帰りたくなってきた。お土産に玉手箱を渡され、「絶対開けるな」と言われて、故郷に帰ると、見たことのない風景。それもそのはず、地上はその間何万倍もの速さで時が過ぎ、浦島太郎が地上に帰った時、すでに数百年が経ていた。悲嘆に暮れた浦島太郎は、開けるなと言われていた玉手箱を開けて煙を浴びると老人に・・・こんな話しだった。
そんな竜宮城のような赤い入り口を入りホームへ向かうと既に電車が入線していた。急行新宿行きだ。帰りは藤沢まで停車せずに行く。
来るときは、快速急行藤沢行きで、ほとんどの駅に止まらずに藤沢に着いた。藤沢からは各駅停車に乗ってきたが、この小田急江の島線は、藤沢駅でスイッチバックして江の島に向かうようになっていた。藤沢駅で乗り換えて電車が動き出して、来た方向と反対に動き出したので驚いた。
ホームに停車中の急行新宿行きは、発車までずいぶん時間があったが乗車できるので車内で待つことにしたのだが、電車のドアが開いていない。4ドア車なのだが、1車両1ドアしか開いていないのだ。
寒い地方の電車では、1ドアしか開いていないとか、通常は自動ドアだが停車中は手動ドアになっているなどよくある光景だが、こんな暖かい地方でのは珍しかった。冷房効果を上げるためだったのか?それにしてはあまり涼しくなかったけれど・・・でも、これからの季節省エネのために必要かも知れない。
毎朝のように、TVの画面では目にしていた江の島を、何十年ぶりかで訪れた。
時の流れは、いろいろな物、いろいろな事を変えていく。それでも、懐かしく、昔のことを語れるうちはまだいい方だろう。
こうして、今回来れたと言うことは、また次に来ることもあるのかもしれない。海の色が海の色とは違うと思ったけれど、裏側を見ればそれなりの海の色も見れた。
何と言っても、新宿という都心から電車に乗れば一時間余りで海が見れることがいいし、そこに江ノ島があるから、また来るのだろう。
急行新宿行きは、走り始めた。最初は車窓の風景が珍しく目をきょろきょろさせていたが、そのうち夢の中。何駅かに停車したときは、夢見心地で、すぐに眠りの世界へ・・・気がつけば終点新宿だった。