朝の空

今夏の猛暑といい、秋は無く急に寒くなり、10月に木枯らしが吹いた。これも何十年ぶりだとか、猛暑もそうだったが、いよいよ自然の復讐が始まったのかもしれない。奄美地方の記録的な大雨もそうだ。

人間は生態系の頂点に立っていると思い込み、思うが侭に乱開発をして、地球上の地面をコンクリートやアスファルトで覆い被せ、地面に息をさせないようにした。樹木を切り倒しすぎたり、植林といって杉ばかりを植えて、広葉樹が減って山で暮らす動植物の生態も変わってきているようだ。

自然は、最古から常にその時々の環境に左右されながら変わってきたのだろうから、環境に順応しながら、ごく普通の変化だったのだろうと考える。

それに対して、二十世紀以降は人工的で急激な環境変化が多くなり、人間だって耐え切れなくなる部分があった。自然に生きている動植物は、それ以上に耐えながら少しずつ生きてきたが、人間がそれに気づいた時には瀕死の状態になって、起死回生の見込みが無くなっていた。

じわじわ長い時間かけて失われていくものは、再生が非常に難しい。自然の警鐘が鳴らされている。

朝のほんの短い時間、空を見ていて、今年の天候のことやそれに関連して起こったいろいろな現象を思い出したが、こんな静かに見えた朝の空も、実は激しい動きをしていてのだ。

この頃は、夜明けがどんどん遅くなってきて、朝起きても薄暗い時がある。このまま年越しをして、1月半ばを過ぎると折り返して少しずつ早くなってくるが、それまでは朝寝坊の季節だ。
ある朝起きて、空を見ると、秋のうろこ雲と言うまでにはいかないが、雲の密度が散漫?希薄?で太陽からの光を雲間から透したり、薄いところでは雲自体が白く輝いていた。その雲のつながりを東から西の空へと目で追っていくと、雲間が開け青空が川のように流れていた。
既に陽は昇って、時間は7時半を過ぎていただろうか、それから30分くらい空を眺めていた。

水は地球を巡る。雨となり落ちてくるものもあるが、雲となり悠々と大空を回遊するものもある。陽が高くなるに連れて、大気も動き始めるのか、空が表情を少しずつ変えて、この雲も姿を変えてここから旅に出るのだろう。

空が表情を少しずつ変えて青空の川も大海のごとく広がり始めると、残り少なくなった雲間からは、目に見える光線が何本かの筋状に地上に向かって放たれた。
さらに大気が動き、静かだった空も大きく動き始めたのか、雲も渦巻くように動き、陽光を地上に満遍なく降りそそいできた。それに呼応したように地上も、まだ眠かった様相が一変し活気ある世界に見えてきた。陽の光は、人間もそうだが、地上の街をも活き活きさせてくれる。

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2010 Nov 7 tama
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