2010 Dec.31 tama

一日中曇っていたある日、日が沈む頃になって、その辺りだけすっぽり雲間が現れて、その日一日の終わりだけは、何とか顔を出さなければと言った感じが窺えた。

あまり年の瀬を感じない暮れ 1年をふり返る

今年を漢字一文字で表すと「暑」だとか。まあ、今考えれば、梅雨明けからすぐに暑くなって、さらに熱くなってどこまで行くのか、なんて思った時期もあったけれど、人間なんてイイカゲンで、あの熱かった夏は、もうずっと前のことのように思い出している。
気候も今までのような、はっきりした季節の移ろいが感じられなくなってきたけれど、人間自身もそうした感じ方が出来なくなってきたのか、服装を見ていても、この時期に、まだ夏の薄いスーツ姿の若者が見られる。そんなことは余計なお節介かも知れないが、漸く北風が吹いてきて、冬の寒さがやって来たというのに、透けるようなスーツ姿はミスマッチだ。
最近の都会の12月初旬は、まだ紅葉黄葉の季節で、なかなか暮れという感じがしない。もっとも今どきの12月は、年の瀬なんて感じられないが・・・。そんな傾向はどんどん進んでいくような気がする。
でも、今年はもうすぐ終わるので、今年を振り返ってみた。

今年の元旦はいい天気に恵まれ、初日の出を自宅のベランダから望めた。東から初日の出、西の空には白く雪を頂いた富士山がど〜んと聳えていた。でも雪は少なめだった。この日の出時には気が付かなかったが、東京スカイツリーが少し見え始めていた。今は、既に500mを超えて、見た目にもはっきり映る様になった。

今年は1月に近くの河川敷に鳥見に行った。その後は5月、6月に飯綱へ行って鳥見をしたが、それ以降は、戸隠のアカショウビンのことや他の鳥見について少し考えるところがあり、ついに鳥見にそれほど興味を示さなくなったような気がする。

5月の飯綱はいい。まだ肌寒く、所どころに残雪の塊が見られるが、早朝からアカハラの歌声で朝を迎え、ホオジロがアオジが歌い、一日中にぎやかな高原だ。

早春の高原は、気まぐれだ。天候さえ良ければ、暖かく、季節の中で一番気持ちがいい。ところがちょっと機嫌を損ねれば、もう冬と同じような天候だ。
一ヶ月後の畑は、一面真黄色の菜の花畑が広がっているだろうアルプス展望台。

6月になれば野菊も咲き、
ちょっとおしゃれに飾ってみた。

今年は、いろいろな自然現象を目にした。その一つが太陽柱だ。5月の早朝、日の出前から空に向かって光線が伸びていて、何だろう?と想っていたが、以前友人が送ってくれた太陽柱の写真を思い出し、その写真と見合わせてみると、それに間違いないと確信した。
そんな光景を目にし、”早起きは三文の徳”なんて喜んだ。

太陽柱は、空中の氷の結晶に太陽光が反射して起きるらしく、日出または日没時に太陽から地平線に対して垂直な方向へ焔のような形の光が見られる現象だ。

5月末、初夏の爽やかな陽気に誘われて、妻と一緒に出かけた江の島。娘が小さい頃は、何回も行って、磯へ下りてカニと戯れたりしたが、今は開発が進み、そんな優雅に遊べる場所が無くなり、ちょっとがっかりした。それでも、階段を何段も昇り頂上の庭園を見たり、タワーに上り360度のパノラマを楽しんだ。

6月、梅雨の合間に飯綱へ行って見た。大口を開けて歌うウグイス。

   この時期、エゾハルゼミがうるさい
   ほどに鳴くのだが、今年はそれほど
   多くなかったようだ。
 
小屋の周りで、朝から夕暮れまで一日中歌い通しのキビタキ。
他には、日に何回か飛んで来て鳴いていくアカゲラ。

戸隠へも行って見た。今年もアカショウビンの悲しげな鳴き声が聞こえていた。もともと悲しげな鳴き声なのに、新聞に報道されるほど過激なバードウォッチャーならぬカメラマン諸氏による激写で、一層悲しげな鳴き声だった。
近くには、パワースポットがあるとか?後に話題となった。

どうしてか、よく分からないが、不思議な光景は数分間続き、少しずつ薄れていき消えた。ネットの知り合いシューさんが教えてくれたところによれば、やや珍しい空の現象で 裏後光、反薄明光線というらしい。
7月、また珍しい(自分にとっては)自然現象を見た。
夕方、東の空から夕焼けのような光線が広がり始めた。
太陽が沈む方向は、西北西なのだが、それと正反対の東南東の方向から2,3条の光線が伸びていた。
朝陽が出てきて、雲の切れ目から光が漏れて、光線が伸びる光景は時々見えるのだが、陽が沈む時なのに、反対方向から日の出時のような光線が伸びている光景なんて、見たことが無かった。

今年は、梅雨明けと共に訪れた暑さ。明けても暮れても猛暑、酷暑。朝の日の出が恨めしくさえ感じるようになっていく。

8月、家の近くに咲く、キツネノカミソリの群落。暑さのためか、やや少なめだ。
近くの沢に湧き出る水。涼を求めて行って見たが、蚊の大群に襲われ涼どころではなかった。

セミも暑さでまいってしまったのか、通路に仰向けに死んでいた。ひと夏の短いセミ生?

8月下旬頃になると、公園のクヌギ、コナラ、ミズナラなどドングリをつける木々の下に落ちている、葉っぱがついたドングリ。これがハイイロチョッキリの落し物だと言うことを知ったのは、5、6年前のことだった。それから毎年、目にするようになり、ハイイロチョッキリの作業ぶりを見たときは感動ものだった。
今年は、あの暑さでどうなるのか?心配だったが、いつも通りだった。

10月「西洋と日本が調和する、歴史的な名園」と言われる旧古河庭園を訪れた。都心の喧騒の中、静かな佇まいだった。

朝日が雲間から地上に降りそそぐ。
その様は、何か神々しくさえ思える光景だ。年に何回か見られる。
人間の小ささを感じるときでもある。

朝の風景は毎日のように見ている。近くに伝書鳩を飼っている方がいるようで、毎朝近所の空を飛び回っている。
伝書鳩といえば、子どもの頃、私たち3人兄弟も鳩を飼っていて、鳩小屋を造り、飛ばしていた。多いときは十数羽にもなったような記憶がある。
あの頃は、ブームだったのか、近くでも沢山鳩を飼っていて、同じ頃飛ばすと、何羽かを釣ってきてしまい、トラブルもあった。

熱い夏の勢いは9月に入っても衰えず、涼を求めて飯綱へ。高原は秋の気配を感じさせてくれたが、下界に戻ると一気に猛暑の世界へ引き戻された。
ついでに戸隠へ行ったら、どこの駐車場も、満車状態。今までに経験したことがなかった。戸隠に異変が起こっていた。
吉永小百合が出演するCMの効果か?奥社の参道にはパワースポットがあるとかで、すごい賑わいだった。
さっさと退散。こんなことは今まで無かった!!

上ばかり見て歩いていて、ふと歩道の脇を見ると、座る人を待っていたけれど、忘れられてイチョウの落ち葉が座ってしまったベンチが静かに佇んでいた。

この辺りの紅葉は遅い。11月末の土曜日に近くの平林寺へ行って見た。武蔵野の面影を残す13万坪もの広さの境内林を持つこのお寺、境内に入るや否や、紅葉を透かしてくる陽射しで、身体が朱色に染まってしまいそうな、鮮やかな色づきの紅葉だった。

12月の初め頃、日の出前の空を見ると、東の空には月齢26.9くらいの月が出ていて、明日の朝は新月になるかならないかの月で、姿が見れるかどうか・・・
月が出ている空を高度を上げていくと、群青色の空に月よりも明るく光る明けの明星が輝いていた。

今やスカイツリーがぐんぐん伸びて、次の電波塔として話題となっているが、何と言ってもこれまで333mnの高さを誇って、東京のシンボル的な東京タワー。最近仕事の帰りにビルの合間に見えていた事に気が付いた。イチョウの黄葉と東京タワーをパチリ。

12月に入り、色づいてきたユズ。びっしりと実をつけていた。冬至も近づいてきた中旬、実を採った。ユズの木はそれほど多くではないが大きなトゲを枝につけていて、思わぬ時にチクリと刺さる。実を身をもって守るということなのか?

ベランダに置いた寒椿が花を咲かせ始めた。

寒くなってきた頃合いを見てかどうかは知らないが、いいタイミングで花開いた。
今まで、蕾をいくつか付けていて、なかなか開かないね、と妻と話していて久しい。
日当たりが良すぎて暖かすぎるから、開花しないなんて、あまり考えられないが、寒くなったタイミングで開くと、そんな風に考えてもしまう。

早く目が覚めたので、外を見ると、日の出直前の西の空には、満月から少しやせた月が輝いていた。
日の出を待っていると、朝焼け空をバックにずいぶん高くなったシルエットスカイツリーが、くっきり建っていた。もう500mを超えたようだが、今年の元日に見た時とは比べ物にならないほど高くなった。
スカイツリーを写そうと思っても、なかなかシャッターチャンスが無い。午後になり、陽射しが傾いてきて、スカイツリーがよく見えていたので一枚パチリ!

この一年を思い起こせばいろいろな事があった。
世の中のこと。自分自身のこと。家族のこと。今年はすごく大変なこともあったが、雄大な富士山を見ていると、それらのことが、あたかも何も無かったかのような気持ちにさせてくれる。力強い存在だ。
だから、見えないときは、ちょっと心寂しい。

そんな富士山も、今頃の時期の日の入りを我が家から見ると、ちょうど頂上辺りに沈んでいく。よく言われているダイヤモンド富士だ。

今年もあと15時間あまり。
いろんなことがあった一年だった。熱い夏。大きな災害を伴う気象現象。相変わらず起こる訳が分からない、自分勝手な言い分の殺傷事件。

今の気象現象を見ていると、我々人間が長い間かけて地球環境を壊してきたつけに対し、いよいよ自然の復讐が始まったのかもしれない、と思ってしまう。
人間は生態系の頂点に立っていると思い込み、勝手に振る舞い人間の便利さだけを考えた環境を造ってきた。

たらいの水、という話しがある。
丸いたらいの水を、自分の方へ引き寄せ
ようとすれば、その水は、丸いから回って反対
の方へ行ってしまう。
逆に、向こうへ押し流すと、水は回ってこちら側へ
戻ってくる。
こうした水の動きは、自分勝手な人間の気持ちと相手
の気持ちを考える人間を表しているようだ。

世界各地では、今の異常気象現象や殺風景になってきた人間関係をおかしいと気付き始めた人々が多くなってきた。

人間関係の希薄さ、相手に対する思いやり、こんな基本的なことを忘れてしまった今の世界。そんなことを感じた2010年だった。

今年も、Nature of the four seasons 自然見聞録へおいで頂きありがとうございました。

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