在来線は、昔ながらの緑色・オレンジ色を基調に現代形の配色にした、新形二階建て車両の湘南ラインが長〜い編成で走っていく。あの2階建て車両の1階部分が駅のホームに着いたとき、目線がホーム面と同じくらいという光景を見たが、あれはちょっとがっかりする。

最近の新幹線には、アニメキャラクターなどが描かれていて見ていても楽しい。ここから見える新幹線は、高架を走っているので車輪などは見えず、窓から上だけ、それに樹木の合間からなので、その見え方もいろいろ想像出来て楽しい。

お客さんの乗降が終わり、再び出発進行!信号待ちをしていた歩行者も歩き始め、バイクや車も動き始めた。電車は大塚駅、サンシャイン60方面に向かって動き出した。

飛鳥山駅に到着です。

カーブを曲がって専用軌道へ入り、飛鳥山駅です。

王子方向から、カラフルな7000形が坂を登ってきた。

横断歩道を通り過ぎ、飛鳥山から王子方面へ坂を下っていきます。

道路上に出たところで停止。横断歩道を歩行者が横断中です。

電車が見える風景…遠い記憶

ちょくちょく行く街には、電車が見える風景がある。一番目につくのが都内では、今は珍しくなってしまった都電の路面電車だ。いわゆる通称「チンチン電車」だ。運転手と車掌の間で合図を送る為に鳴らしていた鐘の音が「チンチン」と車内に聞こえたことから、そう呼ばれるようになったようだ。
私の遠い記憶にあるチンチン電車は、上の写真のような黄色い電車が、沢山走っていた光景だ。

私が、小学校に上がる前のことだが、冬になると祖母と一緒に、上野の近くにある根岸の叔母の所へ行った、その時の記憶だ。今では、早稲田と三ノ輪橋の間を行き来する都電荒川線のみとなってしまい寂しいかぎりだ。

昔のチンチン電車は、路面電車と言うくらいだから、ほとんど車の通る道路上を車と共存しながら走り、停留所は、そんな路上に島状にあった。もっとも、あの頃は車の数が少なかったから、そんなことも出来たことだ。
今の荒川線は、ほとんどの線路が、専用軌道で路面電車として道路上を走る部分は、飛鳥山駅から王子駅前間くらいだったと思う。

上の写真もそうだが、飛鳥山交番の前辺りが、この都電が路面を走る光景を見る絶好の場所だ。予断だが「一日一鉄」でおなじみのレイルマン中井こと鉄道写真家・中井精也さんも良くこの場所で写してみえる。

飛鳥山交番の前に立って、見ているといろいろな型の電車が行き来する。早稲田方面からやってきた三ノ輪橋行きの電車は、7500形。そしてしばらくすると早稲田行きが王子から飛鳥山へと坂を上って来たのは、7000形だった。他に8500形という今風の丸っこくなったのもある。昔懐かしい黄色い6000形(今は色が違うが)も時々走るようだ。こんな光景を見ていると、何時まで見ていても飽きることがなく、昔の光景が浮かんでくる。

都電の運転の様子を見ていると、人が歩道を往来する。車が往来する、そんな合間をうまく通り抜けていく。今の様な忙しい時代に電車が歩道で止るなんて、本当に人にやさしい乗り物だと思う。

京浜東北線は、上中里駅から飛鳥山公園にかけての線路脇の遊歩道を歩くと、銀色の地にスカイブルー塗装の車両がすぐ脇に停車する。

その行き先には、つぎは「王子」と表示されていて、前述の新幹線のアニメキャラクターのイラストといい、王子⇒王子様へ通じ、何と夢がある場所だなあと思う・・・こんなこじつけは変かな?。

この辺りは、高台に元大蔵省、現在は財務省だろうか、国立印刷局の工場があったり、大きな飛鳥山公園、滝野川公園、神社などがあり、そんな高台からはJRの上越・東北・長野新幹線、東北本線・高崎線、京浜東北線が一望出来る場所だ。ここで見ていると、電車が引っ切り無しに行ったり来たりしていて面白い。

眺めていると、何本かある線路に貨物列車が通りかかった。その貨車を牽引しているのは、オレンジと白色のディーゼル機関車DE10形。最近、あまり目にしなかったので、珍しいものを見るように見入ってしまった。走っていく窓に運転手の背中が見えていたのは、余所見運転でもしているかのようだった。

でも、調べてみると、「入換作業や短区間の折返し運転を主目的としたため、室内の運転台は横向きに2か所配置され、運転士が座ったまま首を動かすだけで運転方向の切替が可能な配置で、人間工学を取り入れ視認性・操作性に配慮した仕様」になっているんだそうだ。

飛鳥山公園には、黄色い6000形都電とD51蒸気機関車が展示されているが、やはり私の遠い記憶の中に蒸気機関車の思い出がある。それもやはり断片的な記憶だが・・・。

前述したように、小さい頃東京へ行き来した時に、蒸気機関車に引かれた列車に乗ってのことだ。

信越線は群馬県の横川と長野県の軽井沢間は、急勾配の碓氷峠を越さなければならなかった。所要時間は1時間とか・・・そのくらいはかかったような気がする。
幾つものトンネルの連続で、客車の中まで煙が入って来たことを思い出す。
それに峠の途中ではスイッチバックではないが、確か熊ノ平という駅のような所があって、何やら一服して、それから、また急勾配を上って軽井沢に着いた様な・・・本当に夢の様な断片的な記憶だが、ある面鮮明に浮かんでくる。
その後は、電化され碓氷峠を通過するに20分前後になり、更に今では新幹線で東京〜長野間が最短1時間半に短縮され、昔碓井トンネルを通過するのにまごまごしていたら、今ではその間に全区間を移動できるまでになってしまった。

本当に、今となっては夢のような話だ。

だいたい月に1回は行く飛鳥山周辺。ここへ行くと都電を見たり、季節ごとの飛鳥山公園を歩いてみたり、上中里駅から飛鳥山公園まで線路沿いの散歩道を歩いたり、旧古河庭園の方へ歩いたりと、歩き回るのには良い所だ。神社やお寺も多いから、都心にしては緑も多い。夏の間はセミ時雨で都会の雑音もかき消されてしまうほどだ。

都電荒川線の思い出は、昔のチンチン電車の思い出につながり乗ったことも断片的に思い出される。
新しい都電の思い出としては、数年前に、雑誌「BE-PAL」の企画で、BE-PAL青空教室「佐々木洋の都電で自然観察隊」という企画に参加したことが思い出される。この企画は、我々の「ブルーシートの会」の顧問でプロナチュラリストの佐々木洋さんの案内で、荒川線の電車を貸切って移動しながら、駅の最寄の自然観察をしようというもので、雑司が谷、飛鳥山、尾久の原公園で自然観察。最後は町屋のもんじゃ焼き屋で反省会。

信越線は、長野と東京の間を行き来するのに、何回も利用した。機関車に引かれて走った時代から、こだま形の特急あさま、そして新幹線まで、その間に所要時間は、十分の一にもなった。

もくもく煙を吐いて走った頃の断片的に思い出されるわずかな記憶の中にあった、碓氷峠の熊ノ平駅は、調べてみると、次のようだ。
「信越本線碓氷峠の山中に作られたアプト式の時代の列車すれ違いのための駅。EF63の時代には複線化 されて、列車が止まる必要が無くなったため駅は廃止、熊ノ平変電所として存続していた。」そうだ。
やっぱりあった。あの駅に着くと乗客も、乗員も機関車もホッと一息ついたのではないだろうか。子ども心に、周囲の人たちの話し声やホームに降りて、背伸びをしたり欠伸をしていたような光景が浮かんでくるような気がする。

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三ノ輪橋行電車が飛鳥山駅に到着

乗客を降ろし、出発進行!

7500形 いよいよ、道路上に出ます。

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2009 Sept. 17 tama
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