【鬼子母神参道大門ケヤキ並木入り口辺り】

【鬼子母神参道大門ケヤキ並木:鬼子母神の境内を出て右にか鉤の手に曲がるとケヤキ並木なのだが、すぐのところはもうケヤキが無い。以前はもっと近くまでケヤキが生えていた記憶があるけれど、いつ頃までだったか…今は参道入り口付近に何本か生えているだけだ。】

【境内の脇で参詣者を見つめるように立っている鬼子母神像】

【鬼子母神堂裏手にある妙見堂正面】

【鬼子母神堂裏手にある妙見堂を右手から見る】

【鬼子母神堂正面から見る】

【鬼子母神堂全体を右手から見る】

【鬼子母神堂正面を右手から見る】

【鬼子母神堂全体を左手から見る】

【大公孫樹(おおいちょう)】

【駄菓子屋「上川口屋」】
雑司が谷 鬼子母神を歩く

恐れ入谷の鬼子母神じゃなく、雑司が谷の鬼子母神へ行ってみた。東京の鬼子母神はどういう訳か、入谷、雑司が谷両方とも何か身近なところにある。

入谷の鬼子母神は「恐れ入谷の鬼子母神」だなんて、「恐れ入りやした」の”入りや”と”入谷”を掛けたもので、入谷にある「鬼子母神」と続けた、酒落言葉の中から出たものだが、やはりその地の粋を感じる。

若い頃、この入谷の鬼子母神に近い所に住んでいたことがあり、ここの鬼子母神の境内と前を通るの言問い通りで開かれる朝顔市は有名で、いつも見に行っていた。今の所に越してからも、朝顔市には何回も行って朝顔を買うことがあり、縁がある。
雑司が谷の鬼子母神は、奥方家の菩提寺のすぐそばにあり、お墓参りや法事があるたびに家族そろって寄るところだ。

この境内には、昔からの駄菓子屋「上川口屋」があり、子どもが小さい頃からそこへ寄って5円、10円という駄菓子を買うのを楽しみにしていた。子どもだけではなく、親も子どものころを思い出すような駄菓子がいっぱいで、ついつい一緒になって買ってしまう楽しい場所だ。

雑司が谷の鬼子母神は、都電荒川線の鬼子母神前駅か池袋から歩いたり、車で行っていたが、地下鉄の副都心線が開通してからは、我が家からも乗り換え無しで行ける様なった。

鬼子母神

鬼子母神の4文字について考えると、鬼と神の間に子供と母が書かれている。子供が鬼に近く、母が神に近いとは、親子関係ってこんなものかなって気がする。

鬼子母神について法明寺の解説によると以下のようになる。
「鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっているが、そこに至るまでには物語がある。---その昔、鬼子母神はインドの夜叉神の娘で、嫁に行き千人もの子供を産んだ。
しかしその性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べる鬼神で、人々から恐れ憎まれていた。

お釈迦様は、その過ちから母を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまい、子を失う悲しみをあじあわせた。その時の母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めたそうだ。
そこで母は、はじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされている。

雑司ヶ谷の鬼子母神像は、鬼女形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、吉祥果(魔除けの果実)を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しい姿をしているので、とくに角(つの)のつかない鬼の字を用い 「雑司ケ谷鬼子母神」 と尊称している。」と天女型であると解説しているが…。
鬼子母神像の形は、天女型と鬼女型に分かれるようで、外に立っている鬼子母神像は、直立し合掌している鬼女形ではないだろうか? ここで言っている鬼子母神像は、拝殿の中に置かれている像のことなのかも知れない?

この日は、真っ青な秋の空と暖かな小春日和となり、絶好のお散歩日和。
副都心線は最新の地下鉄とあって、かなり深いところを通っているのか、雑司が谷駅も深い。地上へ出ると、この辺りは静かだ。日曜日ということもあったが、池袋に近いし、目白通りも通っている割りには静かだ。
都電荒川線の電車が行き来する。早稲田方面へ行ったかと見ていると、反対から三ノ輪行きが来る。荒川線と並行する道を100mくらい歩くうちに4本も行き来する電車に出遭った。

青空の下、神社の大木の上に頭を出したサンシャイン60の白い姿が眩しい。

5分ほど歩いて本納寺(奥方家の菩提寺)。ちょっと寄って墓参り。寺の裏手にある墓地も静かだが、すぐ脇を都電が通っているので塀越しに電車が見える。奥方の祖父はにぎやかな事が好きな人だったので、家族一同が墓参りに来て電車が通ると、電車が見えるにぎやかなところでよかったと、いつもこの話しになる。

寺から100mも歩くと鬼子母神だ。この鬼子母神は池袋にある威光山 法明寺(いこうさん ほうみょうじ)の飛地になっている雑司ヶ谷にある鬼子母神堂のことだ。鬼子母神堂の境内には、一番大きな鬼子母神堂拝殿、入口を入ってすぐの武芳稲荷堂、鬼子母神堂拝殿の背面に接して反対向きに祀られている妙見堂、法不動堂、大黒堂、鬼子母神像および大公孫樹(おおいちょう)がある。

やはり七五三、着飾った子どもとそれを取り囲むようにして両親、祖父母といった家族ずれが何組も行き交う。

境内へ入ると、何本何十本もの真っ赤な鳥居のトンネルが続き、その奥に武芳稲荷堂がある。
この武芳稲荷堂へ続く鳥居はコの字形に立てられていて、入り口が2つ、境内中ほどの入り口の真正面奥に稲荷堂があり、もう一方は稲荷堂から右手に進み鉤の手に左に曲がり進むと境内の入り口近くに出てくる。(出口かも)

境内の石畳を進むと左右に石の仁王像が、まさに仁王立ちをしてお堂を護っていた。
この二像は丈と幅が同寸といわれる珍しいものなんだそうだが・・・ちょっと見ただけでは、それは分からない。

さらに進むと、境内の中ほどに元禄年間から続いているという駄菓子屋「上川口屋」が店を開いていた。ここは以前、ずいぶん年をとったおばあさんが店番をしていたが、今はその娘さんの代になったが、その方も、私達よりは年上の方だ。
今の子どもは、こういう駄菓子屋をそんなに喜ばないのか、店先には子どもの姿はなかった。うちの娘なんかは大好きで、今でも行けばあれ買ってこれ買ってと言っているのに・・・。
かえって、20代くらいの2人ずれが店先であれやこれやと品定めをしている光景や我々くらいのおじさん、おばさんが懐かしげに品定めをしていた。
また、この店では魔除けに効果があるという“すすきみみずく”を販売していて、家でも以前ここで買って飾ってある。

【すすきみみずくの由来】
昔むかし、貧しさゆえに病気の母親の薬を買えなかった娘が鬼子母神に祈ったところ、夢の中に鬼子母神が現れて、「ススキの穂でみみずくを作り、それを売って薬代にしなさい」と告げた。娘がその通りにしたところ、みみずくは飛ぶように売れ、そのおかげで薬を買うことが出来たという。

どちらが入り口か出口かは、どちらから入ってもいいのだろうが…。
その2列の真っ赤な鳥居のトンネルの間には、東京都指定天然記念物の大公孫樹(おおいちょう)が生えている。

高さ約33m、みきの周囲は約11m、樹齢600年という神木、雄株の公孫樹(いちょう)が色鮮やかな黄金色の葉っぱを秋の陽射しに輝かせていた。

子母神堂 拝殿

鬼子母神堂拝殿でいつものようにお参りをしていると、脇でドンドンと大太鼓がたたかれた。鬼子母神堂の奥から祝詞だろうか何やら聞こえていた。七五三の祈願をしていたのだろう。鬼子母神堂拝殿と妙見堂は表裏に一体の建物になっている。

【武芳稲荷堂】

【すすきみみずく】

鬼子母神へ行くには、本来は都電の鬼子母神前駅で降りて、参道である鬼子母神大門ケヤキ並木を通って行くのが正統派なのだと思う。
しかし、私たちはいつも菩提寺へ行ったついでに寄って、お参りをすることが多いので、このケヤキ並木を通ることが少ない。
どちらかと言えば、菩提寺から鬼子母神へ通じる道は、鬼子母神の正面へ行き着く道で、本来の参道は鉤の手に曲がって鬼子母神へ入る格好なのだ。

この大門ケヤキ並木、昭和の初期には樹齢400年ものケヤキが18本も生えていたそうだが、今では4本だけしか残っていない。東京都の指定天然記念物になっているようだが、寂しいかぎりだ。

鬼子母神の境内から出て、石畳の参道を右に鉤の手に曲がると大門ケヤキ並木だが、ケヤキ並木なんて言えるほどではない。150mくらいの道だが、今は家並みと言ったほうがいいくらいだ。参道の入り口付近に細い木を含めても数えるほどのケヤキだ。

この鬼子母神では、絵馬、釘隠しなど石榴をモチーフにしているが、鬼子母神が改心後、人の子どもの代わりに、吉祥果は人肉の味がするから、その実をたべたといわれているらしいが、これは後になって付け加えられた話らしく、吉祥果(ざくろ)は魔除けの果実だからいろいろなところに使うようだ。

大門ケヤキ並木の入口まで来れば、商店街の先に都電が見える。ちょうど踏み切り遮断機の警報音が鳴り電車が道路を横切って行った。
都電の線路脇の道を歩き地下鉄の雑司ヶ谷駅へ戻った。

最後に、藤田木咲尾氏が鬼子母神堂へ献詩された詩の一部を記しておこう。
(下記献詩はKISHIMOJIN OFFICIAL SITEの詩 「鬼子母神」からお借りしました)

 詩 「鬼子母神」

HOME
back to Nature Info
2009 Nov.22 tama
inserted by FC2 system