こうしてみてくると、春の訪れを知るのには、気候の変化はもちろんだけれど、野鳥や植物の変化を察知することによって知ることが出来る。彼らは彼らなりの尺度で季節を感知するのだろう。渡り鳥たちは、その支度にかかり、期をみて飛び立って繁殖の地へ向かう。植物にしても、日照時間などを知り発芽や花を咲かせ始めるのだろう。

スプリングエフェメラルという言葉がある。早春の一時期だけ現れて花を咲かせ、木の葉が林をいっぱいに覆う頃には、地上から姿を消してしまう花たちがあり、そのはかなさを、ギリシャ神話にでてくる、一日限りの生存を意味する妖精エフェメロスにたとえて、こんな風に言っている。

これらの花たちは、樹木の葉っぱが開ききると林床には光があまり届かなくなり、生長することが出来なくなるので、光を浴びることが出来るわずかの間に、芽を出し伸び、葉っぱで栄養をつくり、花で虫を呼び集め、実を結び、栄養を地下に蓄え来年に備える。そうすると地上部分は枯れて死んでしまうが、地下では来年を待つ眠りに入る。 春には、こんな営みをしているものもあるのだ。


この頃は、暖冬傾向が強く、四季が失われていくような感じがする。夏が長くなり、冬で本当に寒くなるはずの1月下旬から2月上旬の寒が、それほど冷え込まなくなった。
これらの傾向をいち早く察知しているのは、人間ではなく、動植物だ。彼らは、そんな環境の変化に乗じて、自分たちの生息域をどんどん北上させ、子孫繁栄をしている。
それに引き換え、人間は、愚かな行動をしている。自分たちが住む環境を悪化させ、子孫繁栄など考えるより、自己の欲求を満たす為に行動し、ますます住み難い環境にしている。

この辺りで、よく考えてみたい。季節の変わり目、変わり目で感じるこの感動の意味を....。

この春は、サクラの開花が早いと言われ、平年より1週間ほど早く咲いたけれど、その後は気温が平年よりかなり低くく足踏み状態が続いている。一日二日暖かい日があれば、一斉に満開になりそうだが…いつになることか。

おまけ。足踏みしているサクラの様子を見てきた。日当たりや風通しの関係なんだろう。咲いているところはこんな具合だ。

よく鳥見に行く荒川土手にも春がきた。

土手の芝生は、青々して、その中にいろいろな花が咲いている。ツクシやヨモギも伸びている。土手のあちこちで、春を摘む人たちが見える。斜面になっている芝生のなかで、しゃがみこみ少しずつ動いている。子どもの頃、春のお祭りの頃に、草餅をついてもらうために、もち草(よもぎ)の若いところを摘んだことを思い出した。

あの頃の草餅は、正真正銘の草餅だった。摘んできたもち草を、根元や強い部分を取り除き、綺麗に洗い、それを蒸し、臼に移して杵でこねて、そこへ蒸しあがったもち米を入れて、こねる。そしてペッタンペッタンと餅をつく。そんな草餅は、もち草の風味がいっぱいで、中にアズキのつぶあんが入れば最高だ。

ピーチリチー、ピーチリチー、ピーチュルピーチュルピルピル・・・ 忙しない、でも透き通る綺麗な鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。姿を探すと土手のはるか上空でホバリングしたり、急降下してり、鳴き声と同じく忙しない動きをしているヒバリだ。この動きや鳴き声は、やっぱり春が来た喜びのような歓喜の表れではではないだろうか。

土手を犬とお散歩をする人もいた。キラキラ光る川面に糸を垂れる人たちも見える。
2月に、同じキラキラした水面を見た時は、水に手を入れる気にはなれなかったが、その時とは違い、今は水ぬるむ、という言葉が似合う時季になった。釣り人も、今は上着を脱いで糸を垂れていた。

黄砂とともにやって来た暖かい日に、都下にある都市公園へ出かけた。

ある鳥見人のHPを見ていたら、前日に行った公園のことが書かれていて、そろそろ冬鳥もいなくなるので、見納めに公園に行ったけれど、時期が遅すぎたのか、アトリ、イカル、ツグミは全く見れなかったそうだが、辛うじてシメ3羽が見れ、なんとまだトラツグミを見ることができたそうだ。

えっ!! まだ、トラツグミが見れる。それならば行ってみようと出かけてみた訳だ。でも、この公園は初めてで、それも広さ79ヘクタールもあり、どこに出るのかも分からず探し歩いた。

この公園は、典型的な都市公園で、テニスコートや野球場などスポーツ施設、○○広場と名のついた広場が幾つも、梅林、野草園それにバードサンクチュアリーなど多種多様な公園だ。でも、バードサンクチュアリーは、雑木林などでなかなか中を覗けるない。

春がきた〜

春が来た 春が来た どこに来た。
山に来た 里に来た、
野にも来た。

花がさく 花がさく どこにさく。
山にさく 里にさく、
野にもさく。

鳥がなく 鳥がなく どこでなく。
山で鳴く 里で鳴く、
野でも鳴く。

ここにも春が来た。

2月には初夏を思わせるような陽気の日があり、今冬の暖冬も手伝って、一気に春になってしまうかと思っていたら、2月後半から始まった菜種梅雨が前倒ししたような天候が続いていた。

ようやく、お彼岸を前に、九州、四国からソメイヨシノの開花だよりを聞き、それと同じくして関東にも暖かい日がやって来た。

そこで、鳥見はあきらめて、春を探すことにした。歌にもあるように♪里に来た〜 野にも来た〜♪と…公園にも来たかなぁ〜と公園内を歩き回った。

いろいろ歩き回ったが、HPの鳥見人が見れなかったという、アトリ、シメ、ツグミは、この日は団体さんで飛び回ったり、地面を突っついたりしている姿をたっぷり見せてもらった。でも、見たかったトラツグミは姿を見せなかった。

○○広場と名のついた広場が幾つもあり、子供ずれのママたちが遊んでいた。そんな地面を見ると、枯れ色の地面に緑色がずいぶん広がってきている。皆が歩き回る場所は、地面が固くなってしまい、なかなか雑草が生えるのも大変で土のままだ。
でも、樹木が生えている辺りでは、少しずつ緑の陣地が広がっていく。

樹林の中は、逆に落ち葉、枯葉で雑草が育ちにくいけれど、それを撥ねよけて元気な緑が広がり始めている。今のうちに育たなければ、これからは樹木も芽吹き始めて、どんどん生長して樹林の中の下草は、下手をすれば、この先ずっと、日陰で過ごすことになってしまう。

動植物が生きていく為には、いろいろなところで駆け引きみたいなものがあったり、生きていく術を身につけているのだろう。
葉っぱがついていない樹林内は、今のところ陽射しが入り込み、太い木の陰を地面に映している。

枯れ葉・落ち葉が積もっている地面には、シジュウカラやアトリが何羽も一緒になって、潜り込む様にして、枯れ葉をひっくり返している。遠くから見ていると、餌捕りをしているんだろうと思うが、いやそうじゃなくて、ひっくり返した葉っぱを嘴に銜えて振り回したり、投げ飛ばしたりして遊んでいるようにも見える。まあ、鳥だってやんちゃ坊主が居たりするんだろうから、そんな風に遊んでいるやつも居るのかもしれない。だって、こんな良い陽気だもの、鳥だってうきうきしているんじゃないだろうか。そんな気がする。

落葉していない樹林の下は、もうだいぶ緑が広がって、一見若い緑のじゅうたんが広がっているようだ。この緑の若草は、これから強い太陽の陽射しを受けて、それに負けじと強い(こわい)草に変わっていくのだろう。たぶん、今は色も草自身も柔らかだろうが、夏ごろになれば、濃い緑になり、引きちぎっても筋が残るようになっているだろう。

ちょっとした小山があり、それを越えてみたらコブシが咲いていた。木の下には地面が赤紫に染まるほどのヒメオドリコソウがびっしり花を咲かす寸前でいた。

グランドをとり巻くサクラの木は、まだほとんど咲いていない。学生は、そんなグランドを今日も走っていた。

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2009 Mar.25 tama
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