名の由来は、白花のイチヤクソウに対し赤花のイチヤクソウから、ベニバナイチヤクソウ(紅花一薬草)の名になったという。「一薬草」の名は、一番よく効く薬草の意味で、強心・抗菌などの作用があり、切り傷や虫刺されには、生の葉をもんで汁をつけると効果があるという。…そんなことから名前がついたそうだ。

クヌギやブナなど広葉樹の腐植に富んだ雑木林の下で半寄生の多年草だ。他のイチヤクソウと違い群生することが多い種のようだ。1本の花茎がまっすぐ伸び、高さ10-20pの花茎に総状花序を作り、7〜15個の花が下向きについている。花の径は10mm〜15mm程度。先がゆるく曲がった雌しべが長く突き出している。葉っぱは、光沢があり円形又は円状楕円形の常緑で根元に3〜5枚位ついている。

小屋の中が殺風景なので、このベニバナイチヤクソウの花を何本か採ってきて、小屋の入り口の花瓶に挿しておいた。前述のとおり、この花は花茎がまっすぐ伸びて、総状花序を作り・・・と言うように花茎がまっすぐだ。なので花瓶に挿すと斜めに放射状に挿さったことになる。

その花を翌日の夜見てみると、ん?何か変だぞ!! 花瓶に挿したときは、斜めに真っ直ぐなっていた花茎が途中から曲がって上向きになっている。
直上性がある植物?。前述しているように花茎は真っ直ぐに伸びているが、切ってきて挿した花茎が途中から曲がり床に対して垂直に伸びていこうとするメカニズムが不思議だ。理解できない。
人間を含む脊索動物のほとんどが、3つの半規管すなわち三半規管が備わっていて、それぞれがおよそ90度の角度で傾いており、X軸・Y軸・Z軸のように三次元的なあらゆる回転運動を感知することができ、平衡感覚などバランスを保つように出来ている。
しかし、植物にそのようなメカニズムがあるとは思えない。光のある方に伸びる「光屈性」というメカニズムは、植物が養分を探して移動することが出来ないので、根をはった場所でできる限り効率よく日光を受けるため、自らの形態を変えていくらしいが・・・。

この直上性?というのか、垂直になっていくというメカニズムは、何に向かって、何の為に植物自身の形態を変えていくのかが不思議だ。

ベニバナイチヤクソウの不思議

ベニバナイチヤクソウ(イチヤクソウ科)[紅花一薬草]
今頃、飯綱の小屋の敷地内には、ベニバナイチヤクソウが群落とまではいかないが、かなりまとまって咲き乱れている。花茎をまっすぐに立てて、紅を帯びた優しい花をうつむくように多数つけている。

左上の写真は、摘んできたベニバナイチヤクソウを花瓶に飾ったところ。左下はそれを白線でなぞってみるとほぼ一直線に伸びている。
右上の写真は、翌日の夜気がついたら、本来なら放射状に真っ直ぐ伸びているはずだと思っていたが、途中から真っ直ぐ上に向かって伸びていた。
右下写真のように、本来は細い白線のようになっていると思われるが、太い白線のように伸びたいた。 ありゃ不思議?

今回は、自然界にあるたくさんの不思議?これは自分の中でだけかもしれないけれど、考えてみることも面白い。こんなことは、専門家は既に不思議ではなく、これらのメカニズムは解明されていることだろうけれど、日常の中ではこうした不思議は沢山あり、こうしたことを自分なりに考えていくことも面白いことだと思う。

私も、一時期少しばかり自然観察会に参加したことがあり、こうした中で自然に親しむことを少し学んだ。しかし、それは私のように田舎の自然の中で生まれ育った人間にとっては、当たり前のことだった。
人が自然と関係を深めていくと言うことは「親しむ⇒知る⇒守る」というプロセスがあると解説されていたが、田舎の生活というのは、まさにこの通りのことを実践しているのだと思った。周囲が自然であればその中に溶け込んで生活をしているし、そこでの気候や樹木・草花、動物などの生態を知って、必要な動植物を必要に応じて獲ったり、採取している生活がまさにそれである。

そして、自然の中で生活するには、五感(視・聴・嗅・味・触の五つの感覚)が大事になってくる。
五感を使って、立体的に自然を感じることが大切だ。見ることは当然だが、葉っぱをさわったり、花の香りをかいでみたり、野鳥の声、虫の声に耳をすまし、我々に備わった五感を研ぎ澄まして、単に「見る」だけではなく「感じる」ことが自然の中では重要だ。

冬山での雪崩なども、気象条件や環境条件と共に歩いている間に五感と言うアンテナを張り巡らせている必要があるが、それは山でも海でも自然の中ではいつでも同じことだ。

こうした感覚があると、山や自然の中だけでなく都会でもたくさんの自然の不思議がたくさん見つかるような気がする。

このセミは、里には生息しないようで、山へ行くと本当ににぎやかに大合唱が聞こえる。比較的標高が高いところ、関東以西では1,000m前後の山地に見られ、ブナ、ミズナラ、コナラなどの落葉広葉樹林を好むようである。

エゾハルゼミの不思議

カメムシ目 セミ科 ハルゼミ属 エゾハルゼミ 
今、山へ行くとセミの鳴き声で、すごくにぎやかだ。
このセミは、エゾハルゼミ。早いところでは5月中旬頃現れ、7月下旬頃まで聞くことができる中小型のセミ。北海道から九州まで分布。透明な羽、胸部に緑と黒い紋。紋様はミンミンゼミ、形はヒグラシをそのまま小さくしたようなセミだ。このセミを森の中で探そうとして木の幹を見るけれど、1頭も見つけられなかった。高いところにとまって見えないのかと思い、双眼鏡で探したがこれまた見つけられなかった。どこにいるのだろう?あれだけうるさく山中が鳴いているようなのに…そのことも不思議だ。

子どもの頃や今でも、普通にいるアブラゼミ、ニイニイゼミ、ミンミンゼミやヒグラシは木に止まって鳴いている姿が見えるのに、このセミは見えない。ひょっとして忍者ゼミなのか?と思ってしまう。たまたま笹の茎に止まっていた、弱っていたのか、羽化したばかりなのかじっとしているエゾハルゼミの姿は確認した。

自然の不思議

*注

ロボットカメラさん」のサイトは以下です。 この記事は2008年6月 7日 (土)から引用させていただきました。
Cyberforest(サイバーフォレスト) はじめてました
http://cyberforest.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_d734.html

やはり、自分も感じた気温の変化など環境の変化をエゾハルゼミは敏感に感じ取っていたのだろう。自然界に生きるものは、周囲の環境の変化をすばやく察知し行動をとり自身の身を守ると言うことなのだろうか。

どうも、天候と関係がありそうだ。特に気温が深く関係しているように思える。
一般に里にいるアブラゼミ、ニイニイゼミ、ミンミンゼミなどは、日照というか光に関係が深いようだ。もちろん気温も関係しているのは分かるが、夏の都会では夜になっても明るい為か、鳴いているアブラゼミをよく見かける。
この日の、鳴き止む前の気温とその後の気温を測ったわけではないが、体感的に気温が下がったことを感じたので、やはり気温は、セミが鳴く鳴かないの重要な要素のようだ。

これについては、「ロボットカメラさん」の調査でも分かる。その報告によれば、以下のようだ。
「今日の午前11時50分の現地の気温は17.5℃、湿度は81.1%でした。この気象条件でこの映像のような(曇り)日照状態だと、エゾハルゼミは鳴かないようです。
比較対象として、エゾハルゼミが鳴いていた昨日の気象データを見てみますと、同じ時間の気温が20.8℃で湿度が72.1%でした。今日に比べて、気温は高く湿度は低い、という気象条件になっています。日照状態は、雲が出ているものの日差しは一定量ありました。
以上より、エゾハルゼミが鳴く条件として次の3つの可能性が考えられます。

 I.ある一定値以上の気温であること。
 II.ある一定値以下の湿度であること。
 III.ある一定量の日照があること。

おそらく、この3つのうちの複数、および他の様々な条件が、複雑に絡み合っているものと思われます。」

そして、このセミの合唱について、何かの法則があって鳴いているのかが不思議だ。と言うのは・・・
その日は、それほど良い天気ではなく、朝からうす曇りの日だった。朝7時過ぎくらいからだったか森に中では、何と表現したら良いのか判らない鳴き声の合唱が始まった。図鑑やネットで鳴き声を探すと「ミョーキン,ミョーキン,ミョーキン,ミョーケケケケケケーーーギョーギン」などと表記されている。そう思って聞けば、なるほどそんな風にも聞こえる。

午前中、止むことなくずっと聞こえていた大合唱が、12時過ぎに急に聞こえなくなった。はて?どうしたのかしらん?
あれ、セミの鳴き声が聞こえなくなったよ、と奥方に言うと、あら本当に、どうしたのだろう? しばらく、呆然とつっ立ったまま、何時鳴き始めるのかと聞き耳を立てて待っていたが、鳴き始めない。

どれ位しただろう?急に冷たい風が吹いてきて、朝からそれほど寒くなかったが、何か羽織りたくなった。ひょっとしたら、この気温の変化を感知したのだろうか?この間5分くらいだったろうか。上着を引っ掛けてしばらく外で待ってみたが、やっぱり鳴き始めない。
ちょうど昼なので小屋の中へ入り昼食をとっている間に、薄日が射す程度になっていた。そして外へ出てみると、再びセミの大合唱が始まっていた。

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2009 Jun. 14 tama
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