【今回登った、馬背峠ー太郎山コース】

【裏側、綿内側から見た太郎山。左端のピークが山頂。形が今まで見慣れていたのとずいぶん違う】

【私の故郷、保科側から見た太郎山。お観音様の仏閣も見える。右端の鞍部が馬背峠(まぐせとうげ)】

最近、保科側から登るコースを作るための準備作業が行われているそうだ。私の兄は、若い頃登山をしていた関係か知らないが、その作業に関わっているそうで、何回かコース選定の登山をしているとか…。

さて、今回は時間の関係もあったので、一番らくちんに登れそうなコースを行ってみた。

馬背峠まで車で行き、そこから歩き山頂往復の「太郎山展望コース」というのだが、ちっとも良い展望ではなかった。ただ、何といっても往復2時間というのが気に入ったのだ。

太郎山は、私が子どもの頃には今のように登山の対象の山ではなく、登る人は山仕事で木材の伐採や炭焼きをする人、猟師くらいだったと思う。だから、今のような整備された登山道などは無かったように思う。

子どもの頃は、この山をただ太郎山と呼んでいたが、最近では、上田市にある太郎山と区別するためか?若穂太郎山と呼ばれているようだ。

現在、登山道は全て綿内側から登るコースばかりだ。我が故郷の保科側からは、あまり展望も良くなかったり、急峻で登りにくいためか、まだ登山コースは無い。

馬背峠(まぐせとうげ)から登るコースが、どちらかというと保科側からの登りかなと思う。というのは、小学校の遠足で、当時まだ林道など出来ていない頃に、この馬背峠まで行ったことがあるので、身近に感じるからかもしれない。

あの向こうには何もない!頂上だ!!

主稜線に沿って歩く

広々した傾斜地の先に主稜線が見えてきた

広々して傾斜地に出た、頂上も間近?

さて、もう一息だ!

2人の下山を見送った

急登の終わり地点、振り向けば・・・

妙徳山もすぐ目の前に・・・

根子岳が見え・・・

急登にはトラロープ、ぬかるんでいた

そろそろ急登も終わりそうだ

急登が続く

鞍部を過ぎると、また登りだ

鞍部が見える

小ピークの反対側は一気に下る

小さなピークがあった

明るいたらたら道を登っていく

杉林が終わり、明るい雑木林に

ダラダラの杉林を歩く

登山口?ハイキングコース入り口? 出発進行!

峠の標識。左へ行くと保科・高岡方面。

山新田側から林道を登って来た。

2009 Dec.19 tama
この辺りの地面は落葉が除けられ、何か動物が掘り起こしたようになっていた。イノシシかカモシカかもしれない。両方とも大きく頑丈なひずめを持っているので、掘り起こしたのかもしれない。
イノシシは体に付いた寄生虫を落とすために「ぬたを打つ」という泥浴びをするようだが、体毛は見あたらなかったので、カモシカだったのかもしれない。
カモシカはこの辺りではよく見られるようなので…?。


広々した傾斜地を進むと、突き当たりは反対側に急傾斜で落ちていく。どうやら主稜線に出たようだ。ここを右手に主稜線を歩く。
緩やかな登りがしばらく続き、カラマツの大木が見え、その向こうには空間が見えてきた。頂上のようだ。

馬背峠に着いたのは11時少し前、11時、登山口を出発した。まずは植林された杉林の坂道を登り、それに続くダラダラの杉林をしばらく歩くと、パッと明るい落葉樹の林になる。天気も徐々に良くなってきているようで、時々曇るが陽射しが勝っていた。

登ってみたかった山

私の子どもの頃の楽しみといえば、お盆、正月やお祭りくらいなものだったが、春になると、お観音様のおまつりと初夏の牡丹園の花見があった。

私の生まれ育った所には、清水寺(せいすいじ)という寺があり、「保科のお観音様」といわれ、当時は牡丹のお寺として知れ渡っていた。
清水寺の境内や周囲に牡丹畑があり、背丈より伸びた牡丹の木に色とりどりの大輪の花を咲かせていた。そんな牡丹の花を、母親、叔母、兄弟や近所の人たちと連れ立って見に行ったことを思い出す。

お観音様の裏山へ参道を登ると、京都の清水寺の清水の舞台に似ている観音堂がある。この裏山が、子どもの頃から登ってみたかった太郎山だ。

この地域は、山に囲まれ山ばかりなので、山の名前がついているものは数えるほどだ。
どこどこの裏山などと呼ぶことが多いが、ちゃんと名前がついている山も幾つかある。

この辺りで一番高い保基谷岳(1529m)、堀切山(1157m)、熊窪山(1254m)、奇妙山(1099m)、妙徳山(1294m)そして太郎山(997m)だ。
この太郎山、やはり標高が1000m以下なのでかどうか分からないが、二万五千分の一の地図を見ても三角点表示はあるが名前は記されていない。地図上では、そんな無名に等しい山だが、地元に住む人たちは、昔から太郎山として慣れ親しんできた山だ。


【この辺りは、長野市若穂という地域で、若穂とはその昔、綿内村、川田村、保科村がありその3村が合併して頭文字をとって綿内のワ、川田のカ、保科のホからワカホ(若穂)となった。】

ちょっと天候が心配だったが、現地へ着くと雨あがりに晴れ間が出始めた。
家を8:30に出発して関越自動車道、上信越自動車道を乗り継ぎ、須坂・長野東ICには10:30に到着。

ICを降りて、上信越自動車道に沿って山際の道路を少し後戻りするように走り、綿内の温湯(ぬるゆ)地区、清水地区を通りリンゴ畑の中の道を山新田地区へ向かった。

山新田地区のリンゴ畑の中を通り抜けたが、既にリンゴの収穫を終えた畑には人影が全く見えなかった。

実は、この山新田の道路は、学生の頃夏休みで帰省した時に、市役所のアルバイトで測量をして歩いた道なのだ。あの頃は未舗装で、家並みも今のようでなく、ずいぶん変わった…。当たり前…といえば、もう三十年も前のことだから・・・・

集落が終わり杉林の林道は薄暗い感じだ。
杉に混じって唐松もあり落葉が前日の雨を吸って、タイヤで踏みつける度にジュクジュクと音をたてる。
林道を登り詰めると1台の車が林道脇に駐車していて、その陰に登山口の案内板があった。
ここが馬背峠(まぐせとうげ)だった。
この林道脇には車が数台停められるスペースがあった。

それに、あの頃より道路や家が多くなっていた。昔は、林道高岡山新田線といえば山新田へ通じている広い道路をどん詰まりまで行けば、そのまま林道へ通じていたけれど、今は道路がいろいろ出来ていて迷ってしまった。ちょうど畑仕事をしていた小母さんに尋ねてみると、この道をどんどん行けばいいと教えてくれた。

落葉樹で明るくなった道を、たらたら登っていくと,小さなピークになっていた。その向こうはやや狭い尾根道状の急な下りで、トラロープが張ってあった。一旦鞍部に下る。鞍部からは少しずつ傾斜がきつくなっていく斜面を、また登り始める。

前日の雨で、落ち葉の下はぬかるんでいる所があり時々滑るが、急な坂道にはトラロープが張ってあるので、それにつかまって歩けば大丈夫。傾斜と共に所々に岩が目立ってきて、登りもきつくなってきた。急坂を登り切った辺りが、ちょうど中間点くらいだろう。ちょっと一息入れて、振り返ってみれば、樹林の枝の間に雪を頂いた根子岳、視界を左に移せば妙徳山が聳えていた。

そんな所へ夫婦の登山者が下山してきた。今日、初めて遇った人だという。私も初めて遇った人だったので、挨拶を交わし2人を見送った。
その後は傾斜が緩くなった道を、また歩き始め、まもなく、広々したカラマツと笹が生えた緩やかな傾斜地に出たので、もう頂上が近い感じがした。

ゆっくり歩き、頂上の標識が目に入った。「太郎山山頂 標高996.7m」。山頂からの眺め、さっき通ってきた高速道路、山新田地区、長野市街地、Mウエーブが見える。千曲川、志賀高原の山々が見渡せる。雲間から見え隠れする北信五岳の山々、晴れ渡ったらさぞすばらしい展望なんだろう。でも、それは次のお楽しみ!!

頂上には誰もいなかった。頂上からの展望は、北側のみで我が故郷側の樹木はそのままだったので樹木の枝を通しての景色だった。聞く所によれば、山頂から春山・天王山コースを下れば絶景のビューポイントがあり、アルプス展望台の名もあるほどだとか。次はこちらのコースを登ってみたいものだ。

山頂にまた来ることを告げて、下ろう

笹の中、カサコソ落葉を踏みしめて歩く

主稜線を下り、左手へ曲がって下る

平坦な山稜から急坂の頭に来て、目の前に根子岳を確認して下る

鞍部から急坂を登り、登山口近くの植林された杉林へ・・・平坦な道をしばらくすると登山口が見えてきた

およそ25分で山頂に着いた。
山頂に辿り着いてみると、誰もいなかったので、独りでゆっくり休んでいくことにした。独り占めの山頂で倒木に腰をおろし、山行手帳に到着の時刻や天気、他に二、三の覚書を書き留め、四方の山並みの姿をカメラに収め、おにぎりを噛った。冷たい水を飲み、これで一応済ませることは済んだのだが、肝心のことを忘れているのに気が付いた。

それは登ろうと思って登った山の頂上にいるのだから、当然悦びを味わなければならない。強制ではなく、自然に湧き上がって来る筈の悦びだが…。
これを今日はたっぷり味わえる。あたりには誰もいないのだから何をしたって恥ずかしいことはないし…だが、悦びなどというものは、さてと構えてみると、本当に嬉しいのかどうか判らないものだ。そこで山頂の悦びについて、ちょっと考えてみた・・・・。

独り占めの山頂は静かだ。風も無く、木々がざわつくことも無い。時々聞こえる野鳥の鳴き声は何種類か聞こえていた。あとは何も聞こえなかった。久しぶりの静かな山は、日々何かしらの音がする世界に生きている自分にとって、とても気持ちが安らげるひと時だった。


さて、そろそろ、腰を上げ、来た道を引き返さなければ・・・。
子どものころから、いつも見ていて、どこから登ればいいのだろう?と、子ども心に見る度に、いつか登ってみたいと思い続けた山へやっと登れた。
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