【一夜山から見る飯縄山。この山も普段反対側から見ると台形の整った形の山がイメージの中にあるが、こちらから見ると戸隠スキー場のゲレンデになっている怪無山、瑪瑙山。霊仙寺山、笠山など幾つかの山で形成されている飯綱山系という形で、永年の噴火を繰り返しながら出来た山系を想像させる。】

一夜山から見る戸隠山・西岳連峰、普段屏風のように見ているが縦方向から見るとまったく別の山のように見えてしまう。間近に迫ってくる岩壁の様子は、いつも見ている峻険な岩壁にも増して荒々しく、飛ぶ鳥さえ寄せ付けないような威容な姿だ】

【戸隠山・西岳連峰の末端の後ろ側に見える裾花川の流れを挟んで 奥裾花渓谷の山並み。 さらにその奥に雨飾山など遠望できる。】

道端に咲いていたミヤマキケンマと薄暗い林の中でも明るくなるようなネコノメソウ】

【北信濃の遅い春。今新芽が盛んに萌えている】

【頂上から見る飯縄山(左)、鬼無里の集落とそれを囲む虫倉山、もう一つの飯縄山などの山並み】

一夜山山頂標識と一夜山大明神碑。背後には雨飾山、焼山、火打山など残雪の頚城の山並みがきれいだ。】

丸〜るい鍋底をひっくり返したような残雪の頂上】

頂上直下の最後の吹き溜まり残雪】

【この辺りから眺望が開け奥裾花の山並みが見える】

【この辺りの林ででコルリが出迎えてくれた】

【急登の途中にミツバツツジがピンクに咲いていた。】

【頂上まで500mの道標。ここからがきつい登りだ。】

【北斜面から尾根道へ出て、いよいよ急登になる。】

【北面の登り。上方向を見る。道端の斜面にはショウジョウバカマが沢山咲いていた。下方向を見る。】

【平坦登山道から急登になる採石場跡のガレ場。残雪】

【採石場入り口広場からの戸隠山、飯縄山】

【林道から、林の向こうに一夜山が】

【林道途中左右の道端はニリンソウなどお花畑】

【一夜山への林道入り口、後が駐車スペース】

3月のスキーで瑪瑙山まで登った。前々から飯縄山から、この瑪瑙山へ行ってみたいと思って
いたが機会がなく、それならば雪が融けた後の瑪瑙山へはスキー場のゲレンデを登れば簡単
に行き着くことが出来ると考え、5月に決行しようと戸隠へ行った。

ところが、当日の朝になってみると、飯縄山と周辺の戸隠山などがすっかり白くなっていた。
季節外れの雪に驚き、さて瑪瑙山はどうか? 
バードラインを走って行き、戸隠の宝光社手前の勝手に名づけた「アルプス展望台」はらい沢付近から、あらためて瑪瑙山を見るとやっぱり真っ白だった。う〜ん これでは寒くて・・・と、ずくなし人間は瑪瑙山行きをあっさりあきらめた。

伝説の山 一夜山 紀行

車は、もっと上まで行ける様だが、ここまで来る間も狭い道だったし、一夜山も直ぐそこに見えているので、車はこのT字路を左折した所の駐車できる場所に置いて歩くことにした。この林道は幅が3mくらいあり、普通車でも十分走れる。でもここは歩いたほうがいい。

今の時季、道端はコゴミがいっぱい出ていて採りながら歩く。花もニリンソウ、ネコノメソウ、・・・などいっぱいなので見ながら歩く。周りの林からはキビタキ、オオルリのさえずりがひっきりなしに聞こえてくる。いったいどのくらいの数が居るのだろうかと思うくらい歩いても歩いても、すぐ近くからさえずりが聞こえてくる。

やがて林道も終わり、昔の採石場入り口の広場にでる。ここは林が切れてぽっかり開いた空間から飯縄山、戸隠スキー場のゲレンデが帯のように、戸隠山・西岳連峰の側壁が間近に見えた。

一夜山は、鬼無里村誌によれば、その昔天武天皇のころ、風光明媚かつ岩山に囲まれたこの地へ遷都しようとしたところ、ここに住む鬼たちが、自分たちの住み家を荒されては困ると、一夜で山を築きあげて妨害した山だとか。その後、鬼たちの妨害に憤慨した天皇が武将に命じ、残らず鬼退治をして鬼の無い里、鬼無里になったという。
他にも鬼女紅葉伝説の紅葉を朝延の命を受けた平維茂が退治し、鬼女が居なくなったから鬼無里という説があるらしい。

反対側の方向を見るといつもバードラインからは、きれいな円錐形に見えている一夜山が目に入った。この山も、前々から一度登ってみたい山だったので、急遽、一夜山行きに変更した。さて、この伝説の一夜山はどんな山なんだろう。

宝光社から左折して、白馬鬼無里線へ入って狭い山道を行くと、途中には「大望峠」本当の「アルプス展望台」がある。鬼無里の集落を囲む山並みの向こうには、まだ残雪が真っ白な北アルプスの偉容がずっと聳えていた。

すぐ右手には、荒々しい岩肌を見せつける戸隠西岳連峰が迫ってくる。いつも見慣れている屏風を広げたような見え方と違い、本院岳、西岳が見分けられない。それに連なる第一峰、二峰、三峰と縦方向からの見え方になっている。西岳連峰の末端の1,438mピークから1km程南に、ぽっこりした三角錐の一夜山が見えた。この山は、西岳連峰の末端辺りに位置するが、立派な独立峰、標高1,562mだ。

【アルプス展望台大望峠からの眺め 右から延びる戸隠山・西岳連峰。その末端にポッコリ三角錐の一夜山。アルプス展望台なのにアルプスは雲の中。晴れていればこのパノラマいっぱいに北アルプスの峰々が望める。北信濃の遅い春は今、燃えるような萌える新緑】

一夜山に登った

あらためて、一夜山行きを決定し鬼無里集落へ下りて行った。
ところが、にわかに行き先を変更してみたけれど、登山道の入り口が分からない。同行の叔母は以前に一度登ったことがあるというが、記憶の道路へ入ったが、どうも私が以前に調べた場所と違うような気がして、近くで畑作業をしていたおばあさんに聞いてみると、やはりもっと先へ行ったところだという。
先へ進み橋を渡ったところに大きな観光案内板があったので見ると、通り過ぎて渡った橋の手前に[一夜山・西越]の標識があり、近くに居た人に確認すると、この道を上っていけば一夜山へ行くと教えてくれた。

川が流れる沢筋に沿った、狭く時には広々した舗装道路になったり未舗装道路になったりしながらの坂道を上って行く。岩魚釣りの人だろうか、1人2人さおを伸ばしていた。

谷間の山道を上りきった辺りで、山懐に少し広がりがある場所へ出た。そこは嘗て田畑を耕した段々畑の跡ような平らな土地で草ぼうぼうになっていた。この辺りは、地名からして、昔開拓で入植した場所のようで空家らしき家が2、3軒あった。
道路は西岳連峰に突き当たりT字路が左右に分かれる。右に続く舗装道路は災害発生中で通行止めとなっていた。左へは未舗装道路が延びていて、その先のY字路を左に進むと一夜山へ続いて行く道のようだ。

ここまでは、西岳連峰と一夜山の間の狭く視界の利かない北斜面の山道を登っていたのだが、ここを上りきると、一夜山の山頂から東に延びる尾根を回り込むようにして、尾根の南側へ出る。そこからは、視界が一気に開け尾根の南側を登ることになる。
ここから頂上までは標高差約200m、距離にしておよそ700〜800mを登る。けっこうきつい。急勾配のほぼ直線の上り坂の途中に、「山頂まで500m」という御影石のりっぱな道標があった。急坂を登り始めたばかりで、少し頑張らねば、なんて思っていたときに・・・こんなものが出てこなくても、と思いつつ・・・。まだ、山は芽吹き始めたばかりで、葉っぱも出ていない中で、脇を見るとピンク色の花が咲いていた。何だろうと見れば、ミツバツツジだ。歩を止めて一息ついた。ホッとする一時だ。

広場からさらに林道は続くが、広場の端にゲートがあり、とうせんぼがしてある。脇を通り抜けて林道を進む。しばらく平坦な道だが、少し坂になってきた左の林の中に、場違いな茶色に錆びた大きな鉄管があり、その先の右手の道端には、これも錆びた索道バケットのようなものがあった。

ここを過ぎると右へヘアピンカーブをして、平坦な道路が200mくらい続く。次のカーブを左へ緩やかに上り、その先はまた平坦に50mほど歩き、次のカーブを上りながら右に折れると、やや坂道を250mほどだらだらと登る。上りきったカーブは、採石場直下のガレ場だ。ここは残雪が広範囲にあり休みたいけれど、落石がありそうなので早々に通り過ぎたい場所だ。この辺りまでは道端のコゴミやフキノトウを採りながら歩いて、ずいぶん沢山採れた。帰ったら、コゴミ、フキノトウの天ぷらが美味そうだ。

ここからは、今までより急な坂を250mくらい上る。この山側斜面には、ショウジョウバカマが沢山花を咲かせていた。ショウジョウバカマの花の咲き方は、積雪量と関係しているのか、短い茎で咲いている花と茎がヒョロヒョロと伸びて咲いているものとあり、いかにも雪解け直後に咲き始めたのは茎が短い方のような気がした。

道標から100mくらいで右に折り返し、左に折り返すと「山頂まで300m」の道標が見えてくる。この辺りまで来ると標高は1,500mくらいになる。先へしばらく登ると右側にワイヤーが張られている。その下は先程通過した採石場の崖で、絶壁になっているので要注意だ。

そこからは、標高差50m、距離にして300mほど登ると頂上だ。この辺りまで来ると眺望が開ける。戸隠山・西岳連峰の末端の向こうに背後の山が見えてきた。最初、その山並みに残雪が多いので、北アルプスの北部辺りの山並みが、見えてきたかと思ったが、それは一つ向こうの谷を流れる裾花川を隔てた奥裾花の山並みだった。

ここからは、視界も利いて登り具合も楽になってきたし、今まではシジュウカラくらいしか聞こえなかったさえずりにコルリが加わった。コルリは人懐っこいのか登っていく先へ先へ飛んで行きさえずっていた。姿も肉眼でも確認できる距離の枝まで飛んで来てエールを送ってくれているようだ。こうなってくると元気も出てくる。もうちょっとで頂上だ。

最後の吹き溜まりの残雪を左手に見ながら登ると、丸〜るい鍋底をひっくり返したような残雪の上に、鳥居、碑、アンテナなどが見えてきて、その先は空に続いていた。頂上だ!!

約2時間の道のり、山菜の入った袋もいっぱいになったし、74歳の叔母、奥方も無事登頂した!

頂上からは360度の大パノラマが広がる。あいにく雲の多い天気で西の北アルプスは裾野だけだったが、北に見える雨飾山から頚城の焼山、火打山、戸隠裏山の乙妻、高妻。すぐ目の前には戸隠西岳連峰、東には形の変わった飯縄山、遠くには志賀高原、菅平の根子岳が見えた。南側は、直ぐ下の山間には鬼無里の集落が点在し、それを囲む山々は燃えるような新芽が萌えてすばらしい世界を展開していた。

見なれた山も、違う方向から、違う高さから見るとずいぶん違う形に見えて、本当にあの山だろうかと思うくらいに違って見えるものなのだ。

昼食をとりながら、このすばらしい景色を楽しんだ。頂上には、伝説の山らしく、大明神の祠と鬼女紅葉の碑などが建てられていた。

『鬼女紅葉伝説』

平安の昔のこと。奥州の会津に生まれた少女呉羽(くれは)は、子どもの無かった夫婦が魔王に願って生まれた子で、そのせいか輝く美貌と才知に恵まれて育った。やがて紅葉と名を改めた彼女は、両親と共に京の都に上り、美しい琴の名手として都中の評判になり、源経基公の寵愛(ちょうあい)を受けるようになった。

ところが、経基の御台所が病気で倒れ、手当てや祈願の甲斐もなく病気は重くなるばかりで、人々の間では「紅葉が呪いの祈祷をしている。」と噂したことから、経基は怒って紅葉を戸隠の山中に追放した。

紅葉は、水無瀬(鬼無里)の里に辿りついた。美しいうえに読み書き、歌舞音曲など教養のある紅葉を村人たちは敬愛し、京をまねて内裏屋敷と呼ぶ館を造ってやった。紅葉も内裏屋敷の西を西京(にしきょう) 、東を東京(ひがしきょう) と名付けたりして都を偲んでいた。

しかし、山奥の暮らしに絶え切れず、とうとう乱心。親切な村人たちの気持ちを悪用したり、夜な夜な近隣の村を荒らし回るようになり、鬼女として怖れられるようになった。
 
紅葉の悪行は京にも伝わり、信濃守平維茂に鬼女討伐の命が下された。荒倉山を血に染めた激しい戦いの末紅葉を征伐した。これ以来、水無瀬には鬼がいなくなり「鬼の無い里」鬼無里になったという。約一千年も前のことだったらしい。

【鬼女紅葉生誕一千年祭碑裏面の伝説概要、他紅葉伝説を参照】

【碑の裏側に鬼女紅葉伝説の概要が記されていた。】

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2008 May 18. tama
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