【夜明け直後で日の出前(上)と、太陽が昇り始めビル群を朝陽が染めた】

【冬の今は、夏の位置からほぼ90度右手に移動したこちらから日が昇る。】

【夏は北東のこちらから日が昇ってくる】

【ライトアップされた勝鬨橋】

【開業50周年記念の スペシャルレインボーにライトアップされた東京タワー】

【工事中のビル、時節柄こんな粋な計らいをしてます。

それから数日後の朝、奥方の友人から電話があった。何かと聞いて見ると、近くの公園のモミジの紅葉が綺麗だけれど、今日あたりが見頃ですよ。というお知らせ電話だった。たまたま、天気が良くて暖かい日だったし、私も休みで、さした用事も無かったので、出かけてみた。
そのモミジは、数年前にちょうど見ごろになった頃、たまたま見て、こんな所で綺麗なモミジの紅葉が見れるんだと…、そのことを奥方に話しておいたら、公園の近くに住む奥方の友人も、モミジの紅葉を知っていて、何かの機会に話題になったそうで、それを覚えていて、電話をくれたようだ。

駐車場からは、池のほとりを歩く。メタセコイアやハンノキの日陰を歩くが暖かい。池は奥の方は外周が小高い丘になっていて、そこにモミジの木が何本かある。木の下へ行くと赤、朱、黄と色づいているが、ほぼ赤朱色に染まっていた。太陽の光を透かして見ると、いっそう鮮やかさが増す。

木についているモミジの葉は、ほとんどが赤朱なのに、落ち葉となって地面に敷き詰められているのは、ほとんど黄色い葉っぱだ。どうしてなんだろう、と考えてみた。
紅葉のメカニズムだと、黄色く黄葉するのと赤く紅葉するのでは、根本的に違っているので、ここのように赤く見えているが、実は赤ではなく、もう一つの「褐色に」紅葉するのではないかと勝手に思う。それは、数少ない落ちている赤い葉は、赤というよりは、くすんだ赤色をしている。太陽光線を透かして見れば綺麗に見えるが、実はこれではないかと...?
それじゃあ、なぜ黄色い葉っぱばかり落ちているか?それは…
「黄葉や褐葉の色素成分は、量の多少はあるがいずれも紅葉する葉にも含まれており、本来は紅葉するものが、アントシアンの生成が少なかったりすると褐葉になることがある。」・・・による褐葉になる前の黄色いときに落葉するから?・・・

まあ、自然界が見せてくれる紅葉ショーなのだから、素直に綺麗だと思って見ればいいことなんだけど・・・。

公園内を歩くと、洋風茶室風の建物があった。建物の窓やドアは多くの透明ガラスを使い明るい造りになっていて、暖炉・薪入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具など細やかな気配りがされていて、住んでみたくなる建物だ。なんでも、天保生まれで昭和初期まで活躍した日本の近代経済社会の基礎を築いた経済人の接客の場として使われた大正建築だそうだ。

直ぐ隣には、色づいた樹木に囲まれて、その賢人が書庫として使われた洋館が建っている。出窓には午後の陽が差し込み、あるいは木陰が濃く影を落としていた。かつて、あの窓の向こう側では、既にこの世には居ない賢人が勉学に勤しみ、時には窓の外に目を向け、鮮やかに色づいた外の景色を眺めていた…そんな姿を連想させる光景だった。

流れの上には、色とりどりの楓の葉が見える。夏からつい最近までは、たぶん緑鮮やかだったのではないかと思われる。何年か前の10月末ごろ見たことがあったが、そのときは、緑一色だったことを思い出したからだ。
今は、色づき始まって間もない頃なのか、緑、黄色、オレンジ、赤、枯れ色とグラデーションがすばらしい。これから更に色の変化が進むと、全体が黄色くなったり、あるいは真っ赤に染まるのだろうか。
空抜け状態で葉っぱを下から透かして見ると、緑色の葉っぱより色づいてきている葉っぱの方が透けて見えるような気がする。これは、色づき始める頃になると、幹からの養分補給が止まるから、それと共にみずみずしさも失われてしまうからなのだろうか。

公園内を流れる人工川は、わずかな距離だけれど滔々と流れていた。今は、囲むように両岸にある樹木からパラパラ落ちる枯れ葉を、船のように波間に浮かべて運んでいる。夏は、流れに手を入れて涼を求めたが、今はもう日陰となり、寒々とした流れには手も入れる気にはなれない。

神社の境内を横切って公園へはいっていくと、ここでも主役は真っ黄色く染まったイチョウだ。午後の斜めの陽をいっぱいに浴びて黄金色に輝いて見えた。

イチョウは街路樹として一列に並んで植えられているが、木によって葉の色づき具合がまるっきり違っていることが多い。年によっても、その場所によるものかは分からないが・・・。


まあ、人間にしても一人ひとり違うのだから、個々の樹木の
黄葉のしかたが違っていても、それを不思議がることもある
まいが…、でもやっぱり同じ環境にあるのに、方や真っ黄色、
隣の木は緑色なんていうのは、どうも納得がいかない。

坂道を登ってきた脇の高台には神社が見えたので、途中の階段から神社へ行ってみた。
イチョウが真っ黄色に染まり、陽を受けて更に透き通ったような黄色に見える。参道脇は既に枯れ落ちた黄土色や赤く染まった葉っぱが積もっていて、歩くとガサゴソ、フカフカで気持ちが良い。

長く止めてある車のボンネットや屋根にも枯葉が積もっていた。見上げれば、まだまだ枯葉を付けていて、少し風が吹くだけで、パラパラと枯れ葉が舞ってくる。

下町から離れて、春には「さくら」の名所となる、八代将軍徳川吉宗が約280年前、享保の改革の施策のひとつとして、江戸っ子たちの行楽の地としたという公園に来た。

この一帯は小高い丘になっていて、地名も××山となっているが、東京都で一番低い、とされる愛宕山(25.7m)よりも低い山ではないかとして、2006年に測量を行い、実際に愛宕山よりも低いことを確認したそうだ。

そんな地形だから坂が多い。駅を降りて、切り通しのような道路を登る。登りながら、後ろを振り返ると高架線を新幹線の列車が通り過ぎていくところだった。暖かそうな晩秋の午後の陽を浴びて通り過ぎていくけれど、この列車の行く先は、もう山々には雪を頂き、あるいは平野部でも雪化粧をしているだろう、東北や越後の地なんだろう。

東京は今、季節が変わりつつある中で、それと同時に街並みも変わっている。
季節の移り変わりは、郊外に比べれば、その度合いが小さく感じる。それは、人工の構造物が多くを占めている都市部には、それだけ自然が少なくなっていることだろうと思うが、これは私のように郊外に住んでいる者が、都心へ出てきたときに感ずるものでもあろう。

前述したように、都心でも皇居、新宿御苑など沢山の緑地や公園があり、その近くに住む人たちにすれば、私がいつも行く公園へ行っているように、近くの公園へ通って、その人たちなりに都会の季節の移り変わりを感じているだろう。

私のような者にすれば、大きな建物の敷地内の植栽や通勤時に通る道路の街路樹などの芽吹きや黄葉、落葉していく様子を見ながら、都会にも季節の変わり目が来ていることを感じるのだけれど、最近は、こうしたちょっとした緑地がどんどん減っているように感じる。それに比べ、やたらに高層建築物が多くなり、それに見合う緑地や公園を造るかと思えばそうではない。道路脇まで建物が建ち、植栽は周囲数メートルといったせせこましい造りが多い。
日本の都市計画が、どうなっているか知らないけれど、災害が発生した場合やそこに住む人たちの癒しなどを考えれば、高層建物など人工構造物を造った場合には、それ相応の広場や緑地などを併設するべきだと考えてしまう。

もう少し、地面をコンクリートやアスファルトで覆い固めないで、土の地面を出して、そしてそこに住む人たちが、しっかりと移り行く季節を感じるような東京の風景が見たいものだ。

前言で、東京砂漠と言ったが、都心の衛星写真を見ると、意外に緑の密集地帯が沢山見えることに驚いた。皇居、明治神宮、神宮外苑、赤坂御所、新宿御苑、上野公園、浜離宮などだ。

隅田川が東京湾へ流れ込む河口付近の対岸には浜離宮の緑の森が広がって、その背後には、東京のかつてのシンボル、いや今でも東京のシンボルとして、完成してから50年も経つ東京タワーが見え、その周囲には、最近のシンボルとして脚光を浴びた六本木方面の高層ビルが聳えている。

今は、近代的な建造物がどんどん出来ていくけれど、45億年前から輝いている太陽からすれば、宇宙時間からすれば、ほんのチラッと一瞬の現代文明?だ。そんな太陽からの光が届いて来る、それも距離約1億5000万kmの彼方からの光だ。

そんな光が到達し始める直前の夜明け、辺りが白んできて、その直後太陽が昇り、ビル群を朝陽が染め始め、一日が始まる。

東京で、季節の移ろいをよく感じられる一つに、日の出位置の変化がある。普通の人は、それほど興味を持たないだろうが、人間、どこの地に居ても、少し観察眼を持っていれば感じることではあるが、ビルの林立で、どこのビル辺りから太陽が昇ってくるか目安が分かるからだ。

冬の今頃の時期は、南東の方角から昇って来るが、夏はこの位置から左へほぼ90度も移り北東方向から日の出が見られる。この変わり方を見ると、改めて地球が自転しながら太陽の周りを回っていく過程を…自然の営みの偉大さというものを感じる。

日の出も、年毎に変わってきている様に思える。以前は、かなり低い位置から昇ってくるのが見えていたけれど、今ではビルの合間から、あるいはビルがまるっきり邪魔になって、ビルがシルエットになって見えて、その背後が輝いている時期もある。

ここ勝どき・月島辺りは、荒川・隅田川に挟まれて島のようになっているので、川と川の間それと東京湾の間がいくつもの水路でつながっている。

師走の声を聞き、東京でも朝夕の冷え込みが強く感じられるようになってきた。木枯らしが吹くと、都心近くの街路樹や公園のケヤキも北風に枯葉を吹き散らされ始めた。

黄色から黄土色へ染まって、すっかり枯れ色に変わった葉っぱは、地面に敷き詰められたタイルの上をカサコソ音を立てながら吹き溜まりになっていた。
こんな都市では、落葉はただのゴミとして集められ捨てられてしまう。
公園などの樹林に生えていたなら、この枯れた落ち葉は土に返り、腐りやがて樹林の肥やしとなるはずだったろうが・・・

12月ようやく移ろう季節、東京風景
今も、都心のビルの窓から見える近くで、昔の街並みから高層ビル街に変えようとする工事が進んでいる。この辺りは、あと数年のうちには、昔の街並みは消えてしまうのだろう。そして、人間が土を忘れてしまうほどに、地面をコンクリート、アスファルト、タイルで覆い隠してしまう。

樹木、街路樹はそんな合間で生きている。しかし、その数は少なく、鳥瞰的に見ても、建物ばかりで無味乾燥な風景を呈している。以前東京がどんどん変わっていく1960〜70年代頃、よく言われていた東京砂漠という言葉が思い起こされる。その頃とは、様相が違うけれど、ぺんぺん草も生えてこなくなりそうな勢いで工事が行われている。
しかし、夜景的にはすばらしくきれいだ。

今年完成したばかりの高層ツインタワービルの窓々に、いろいろな明かりを見せてくれる。

特に、今の時季は、クリスマスが近いこともあって、一層華やかに窓辺を飾っているのであろう。

都心方向には、隅田川を挟んで、六本木方面の高層ビルや開業50周年記念のライトアップされた東京タワーが夜空を輝かせている。
12月中は、時間帯によってカラーが変わるライトアップだそうだ。

隅田川の上流方向には、これもライトアップされた勝鬨橋、聖路加タワーが綺麗な夜景となっている。
東京の下町、勝どき・月島。この辺りは、下町情緒豊かな建物が沢山あったが、この数年でその数をどんどん減らして、高層ビルに変わってきている。
この辺で見られる典型的な建物は、二階建ての木造建築で、必ずといっていいほど狭い手すり付きの縁側(ベランダ)のような物が備わっている。毎日通っている道路脇の建物も、いつの間にか四角い最近の建物に変わっていたりする。

そのせいか、夏は以外に涼しい時がある。
道路を歩いていると照り返しで蒸し暑くムッとするが、水路に差し掛かると涼しい風が吹いてきて、ホッと一息つける。東京湾から水路に沿って涼しい風が流れ込んでくるようだ。銀座方面から晴海通りを埠頭に向かって来るとその感じがよく分かる。その代わり、冬は海風のせいで寒い。そして高層ビルのせいでビル風が強く吹く。

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2008 Dec 15. tama
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