【ビルの合間から出てきた高速道路、地下へ潜り、左の写真の中央辺りへ出てくる。】

【都内唯一の路面電車、荒川線の早稲田方面行きが通過中】

たまに所要があって出かける都内某所。この近くに、ちょっとした公園があり、その公園内の坂道を下って行くと線路脇に出る。この線路脇を、”飛鳥の小道”と名づけられた遊歩道が通っている。この道を歩いて行くと割と大きな公園がある。特に何かがあるという公園ではないが、たくさんの樹木や野草が植えられていて、側を通る電車の音が途切れると静かになり、ここが都心に近い場所か、と錯覚するような場所だ。せっかく来たので歩いてみた。ここは、真夏にも来たから、4、5ヶ月ぶりだ。あの時は蝉時雨と猛暑で、ものすごかったけれど、今は静かな公園になっていた。

都会の風景と自然

午後の冬の公園は、風がなければ陽だまりにいると気持ちいい。脇で幼子が父親と遊びまわっていても、気にならないほど長閑な時間がすごせる場所だ。今は、黒々した木肌が目立つ林ばかりだが、そんな中で常緑樹のツバキは、青々した葉っぱをたくさん付けて、所々に赤や白い花を咲かせている。

最初の公園内の坂道を下りていくと、テニスコート脇の黒々した木に紅葉したような葉っぱがついていた。はてな?今頃なんだろうと・・・・やっぱり紅葉した葉っぱだ。
ひょっとして暖かくて紅葉が遅かったのかもしれない。さらに下りていくと突き当たりは線路だ。高架線は新幹線が、その下は在来線が行き交う。

線路脇の小道の線路と反対側は、土留めのコンクリートの壁となっている。その壁に名前は知らないけれど蔓類が、張り付いている。今はすっかり葉っぱを落とし、つる状の枝だけが枯れ色に残っている。

それにしてもこの蔓類は、たくましい。コンクリートの壁など水分補給もできないところにへばりついて、また時期が来れば緑の葉っぱで、この無味乾燥のコンクリート壁を活き活きした緑の壁に変えてくれる。これを何年も繰り返しているのだ。

この辺りは、丘陵地帯になっていて、公園がある場所はゆるやかな起伏の山の上といったところで、坂を下りたところを線路が走り、さらに少し下がると、あとは平地といった地形だ。線路脇の小道は、線路脇から離れて階段を登り、民家と壁の間を通ったり、再び線路脇へ戻ったりの小道だ。この辺の民家は線路脇の高台に建っているので、閑静と騒音を表裏一帯にしたような場所だ。通り側は静かだが線路側は電車が通る度にガタゴト音がして・・・などと他人事のように考えながら歩いた。

公園へ行くには、また線路脇の小道へ下りていくが、反対側へ坂道が上がっていくので少し行ってみると、昔ながらのがっしりした門構えの寺が場違いのように建っていた。周囲はコンクリートの建物ばかりになっているなかで、太い木の柱、柱の色、漆喰の白と茶色の板壁、気持ちが暖かくなる景色だ。

再び坂を下りる。丸い玉石の石積みの坂道が線路脇の小道へ続く。電車が往くとガタゴトン ガタゴトン ウィ−ンウィ−ンと鉄路と車輪の音、モーターのうなり音が微妙に聞こえてくるが、通り過ぎてしまうと静かになってしまうので、次の電車が通るまでのわずかな間隔の静寂は不思議な空間に居るような気がする。

そんな道端に、枯れ色の今の時期、濃い緑色の光沢のある葉っぱに鮮やかな黄色い花を咲かせているツワブキが一際目をひく。よく見ると、もう実の数も少なくなったオオバジャノヒゲも見える。アセビのようだが今頃咲くのだろうか?

線路脇の小道から公園へ入る急な階段があった。この階段を上りきると見晴台だ。

この公園も、都内の他の公園と同じでサクラの名所になっている。今は黒い幹ばかりで何も面白みは無いけれど、その木々の間から見える周囲の風景は、都会の今の時季のもので、なかなか普段気づかずにいる風景だ。

葉っぱが茂っている頃は見通しが利かずに、その向こうに何があるか、ということにも気を留めないでいるが、今は枝々の間から透かして少し見え始めると、さらに何があるのだろうと、好奇心が湧いてくる。

都会を走る高速道路は、狭苦しいビルの合間や道路をくぐり抜けたり、重なったりしながら続いていく。この公園から眺めていた新幹線の高架の向こうの建物の間から出てきた高速道路は、線路を避け、道路を避けるためにこの後、地下へ潜っていく。そして眺めていたところから、約90度左へ目を向けると交差点を避けて、その先に、さっき潜った高速道路が首を擡げるようにして地上へ出てくる。さらに竜の背のような高速道路は空を目掛ける様に上っていく。

ここの交差点は、珍しいところだ。T字路になっていて公園に突き当たり、左右に分かれるが、このTの字の横棒に当たる部分を路面電車が走っている。たぶん、この交差点は都内で唯一?路面電車が一般道路上を車と併走している場所だと思う。昔はチンチン電車として都内の道路を車と一緒に走っていたけれど、今は専用軌道を走る 荒川線 が唯一の路面電車となり、この部分だけが、一般道路上を車と併走している場所だ。

この公園は、将軍徳川吉宗が享保の改革の一環として、桜の木を植樹して、江戸っ子たちの行楽の地とするため、整備を行い江戸庶民に開放したのが始まりのようだ。この当時、上野の山や桜の名所地では「酒宴」や「仮装」は、御法度で、一般民衆が今のように飲めや歌いの花見が出来なかったようだが、この公園が初めて容認され、江戸っ子たちの支持を受けた公園となったようだ。あの時代にも、今のような改革なんて〜のがあったんだ!

公園内を一回りしてみたが、今の時季これといったものは無かった。今は、約650本あるという桜の木が黒々と林立しているだけだ。それに引き換え、さっき上って来た線路側の斜面には、ツツジ、アジサイ、ヤブツバキなどが、その数、何百、何千株というほど植えられ、地面にも多種の植物が生えていて青々している。

そろそろ、もと来た道を帰ろうと、斜面を下りかけたが、ちょうど新幹線が目の前を通っていくところだったので、見ていると次から次からやって来るので、しばらく子どものように見ていた。

こうした、都心に近い公園へ足を運ぶ機会はあまり無いけれど、少し時間をかけて歩いてみると、その時期、その時季のいろいろな発見がある。また、公園ばかりではなく、都心に近い住宅地、所狭しと建っている家々の間の道路には、植物が元気良く生えていたりもする。

そういえば、私の仕事場は下町で、近所には長屋ではないけれど、隣同士がぴったりくっついた家が並んでいる。黒い板壁のその家並みを挟むように狭い小路がある。その狭い小路に各家が植木を置いて、朝な夕なに水くれをしている。地面から生えている樹木もある。
こうした風景は、今のように、建物をコンクリートで固め、道路はアスファルトで土の地面を覆ってしまう時代には、オアシスのようだ。そこで暮らす人たちが、夏の夕方に打ち水をしている風景を時々見かけたが、こんな方法で涼をとる情緒ある風景も、あとどのくらい続くのだろう。
人情とか風情なんていう言葉も、風景とともに無くなっていってしまうんだろうか。現に、この地域も新しい街づくりという名目で変貌しつつある。
やたらに、コンクリートやアスファルトなどで覆うのではなく、木造であったり、土の地面であったりすることが、温暖化防止の基本だ。都会の街を歩いていると、そういうことを強く感じる。

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2007 Jan.17 tama
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