秋になれない季節
このところ、北国や高い山からは、初冠雪、初氷や霜の便りが届き始めた。
我が家から見える富士山も、しばらく前に初冠雪があったとニュースでは伝えていた。例年だと、そろそろくっきりとした姿を見せてくれても良い時期なのだが、雲の中、靄に包まれたままで、はっきり姿を現さない。薄っすらと見えた時、上の方が少し白くなっている感じだったが・・・

10月になって、天高く馬肥ゆる秋・・・などと期待していたが、どうも様子が違う。
この時季になると、移動性高気圧に広く覆われて…という天気予報が定番なのだが、この秋は耳にしていない。ラジオ・テレビどこの天気予報を聞いても言っているような気がするが・・・
どうしたのだろう。
数日前に都内の都市公園を歩いてみたが、黄葉どころか新緑の頃のようなきれいな緑が映えていた。
この辺りでは紅葉の気配がない。中には紅葉に至らず、夏の暑さのためなのか枯れたようになっている木も見える。
都内では、この秋、紅葉はしない、などということも耳にしたが、どうなるのだろう。
この公園を訪れたのは4月以来だ。あの頃は、サクラが咲き、新たな芽吹き時で華やかな公園だった。そして、この今夏の暑さを過ぎ、セミ時雨がにぎやかだったろう公園だが、今は静かで時折遊んでいる子ども達の歓声が聞こえるだけだった。

公園を見回せる高台になっているところのベンチに座って見ると、木々の間から
見上げる空は、この時季とはかけ離れた、忙しなく動き回る雲が見えた。
もう午後3時を過ぎる頃だったので、傾きかけた太陽の光が雲間から、あるいは
薄雲を透かして射し込んで来る。この一場面を見ている限りでは、夏の日のようだ。
この公園、街中にしては、樹木の植生が密であって生い茂る葉っぱで薄暗いといった感じがする。こんな事からも、この時季とは思えないくらいに青々茂っている。小川に沿って歩くと、そんな茂みからスポッと穴の開いたように、葉っぱを透き通ったように明るくなる場所が何箇所かある。


こうした陽射しに透かして
見えるようなところでは、
わずかに黄色く色づき始
めた葉っぱが見られる。

時季が時期だけに、全体
的に見て、あまりにも青々
し過ぎなので、 少しでも
こんな景色が見えると、
安心する。
小さな公園だが、真ん中に小川を流して、夏の間は子ども達の楽しい遊び場だったろうが、今は流れていない。その先の池では、水面に辺りの風景を映し出していた。

時おりやって来るハクセキレイが、羽を広げて着地したり舞い上がったりする姿が水面に映る。この姿はヒラヒラっとした感じで舞うという言い方が似合っている。
この頃は、朝夕の気温が、ようやく10℃台になってきたが、日中はまだまだ20℃台後半になる。
そんなせいもあり、樹木、水と条件がそろっているので、やたらに蚊が多い。

体質にも因るのだろうが、十箇所以上も蚊の餌食になってしまった。
頭上にカエデ(もみじ)の葉っぱが、やはり青々と茂っていた。
この時季になれば、そろそろ色づいてきてもいいかと思う。
種類にもよるだろうから何とも言えないが、それにしても、色が変わりそうな気配が感じられないのはどうしてなんだろう。
公園内を透かして見ても、黒々した幹と青々した葉っぱだけで、季節感は夏だ。本来の季節からすれば、そろそろ落葉するものもあるのだろうが、それもない。
そんな青々した公園の中で、多少なりとも秋を感じさせてくれそうなのがケヤキの木とイチョウの木だ。ケヤキは、色づいてきたというよりは、枯れている葉っぱが見える。ケヤキの葉は、鋭突頭の細長い葉で日本の代表的な広葉樹のひとつで落葉高木だ。木の形はほうきを逆さまにしたような形、いわゆる逆円錐状だ。街路樹や公園に多い木だが、これだけ枯れ色が見えてきた。

イチョウの木には、実がついているのが見えた。これも今の時期は落ちてこないので、それほど気がつかないが、実が熟して落ちてくると、あのきついウンチのような臭いが辺りを漂う。食べれば美味しい実なのだが、なかなかそれを拾う気にはなれないのも、あの臭いからだろう。

イチョウは、雌雄異株であるため、雄株と雌株があり、実は雌株にだけ生る。
イチョウは、その臭い実を拾うのも、その気がある人には楽しみなんだろうが、
もう一つは、黄色く染まった落ち葉拾いも、いいものだ。真っ黄色に木全体が
染まると、パラリ パラリとアヒルの足のような形の葉っぱが落ちてくる。

これこそ秋を感じる代表的なものだ。今は、その葉っぱも色づいてなく、実は
地面に一つ二つ落ちていたが、あの臭いはしていなかった。
今、我々日本人が、他の国の人たちが季節ということを、どう感じているのだろうか。
日本は、春夏秋冬という四季が明確に現れ、その時季に特徴があった。しかし、何時の間にか、少しずつその周期が狂い始めてしまい、その時々の起こりうる自然現象も狂ってきている。

四季という明確な季節が、大きな流れとして二季になりつつあるような気がする。現に顕著な表れは、秋が無くなりつつある。かつて真っ青な天高い空があり、爽やかな風が吹き、日本晴れという、普段見えないところまで見渡せた、透明度の高い空気に満たされていた・・・。

自然の営み・・・これが、今できなくなっているのだ。そして、その季節になれないでいる自然なのだ。
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2007 Oct.25 tama
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