今年の梅雨入りは、記録的な遅さだという。6月の初めに九州南部で、2週間たってやっと中国、近畿、東海、関東甲信が梅雨入りした。いずれも平年より遅かったらしい。

人間というものは、面白いもので梅雨に入ったと言われれば、結構その気になって、何となくじめじめして嫌な季節だなあ〜なんて、気分から梅雨モードになってしまう。
そして、雨降りなど嫌なくせに、雨が降らなければ、梅雨に入ったのに雨が降らないなぁ〜なんて言う。

でも、こういう言葉が出てくるのは、何といっても、はっきりと四季がある日本だから、そうした季節ごとの言葉が出てくるのだろう。
そんな日本でも、今のように温暖化で季節が少しずつ狂ってきていては、季節感というものも失われつつあるように、一層強く感じるのだろう。

一昔前は、梅雨入りしたと言えば、情緒があって、ああ梅雨か、またうっとうしい季節がやってきたのか、でも梅雨があければ夏が来て、夏休みが楽しみだ、とかアイスキャンディーが美味いぞ、と季節感というものがあったように思う。

梅雨空

梅雨時の夜明けは、湿度が高いせいか朝靄の中にぼんやりと太陽が上がってくる。今頃は、夏至も過ぎ夜明けは早い。午前4時前頃には、東の空が白んできて、午前4時30分ころが日の出だ。夏至に向かって早くなってきて、夏至の前日が一番早く夜明けを迎える。そして夏至の日から少しずつまた夜明けが遅くなっていく。自然は、こうした微妙な動きを永遠と続けているのだ。太陽が昇ってくる位置も今頃が一番北の位置だ。これからは徐々に右側の方に移っていき、今の位置からほぼ90度くらい南まで移動していくのだ。

それにしても、この時期の蒸し暑さには、まいってしまう。昨夜帰ってくる時間帯がすごかった。日中、昼食で外へ出たときには、まだ陽射しもあったので、蒸し暑いことは蒸し暑かったのだが、まだ爽やかさがあった。それからずっと冷房のきいた乾燥した部屋に居て、外へ出るのだからその差はすごい。室内は30%くらいの湿度に対して、外は雨あがりで、熱せられた舗装道路から立ち上る熱気が、ほぼ100%の湿度でサウナ風呂状態をつくりだしていた。

こんな感じは、昔パキスタンのカラチ空港に降り立ったときの感じと似ていた。中近東へ出張したときで、成田を夜発ち西へ西へ進み、カラチの夜中にトランジットで着陸した。飛行機の中は乾燥して寒いくらいだったが、飛行機を出てタラップを降りていくうちに汗ばみはじめ、ターミナルへ向かうバスはビニールシート、ここにべたっと触る感覚が気持ち悪かったのを今でも覚えている。カラチに限らず、東南アジアの国々ではどこでもそんな感じだが、最近は空港ターミナルビルに直付けするので、そうした体験は出来なくなってきた。

梅雨空は、やっぱりぐずぐず空だ。真夏になれば上空は乾燥してくるのか、雲はモクモクはっきりするが、今頃は地上付近も上空も水蒸気が充満しているのだろう。
地上に居る我々の肌には、しっとりまとわり付くような湿気。そこへ高い気温は不快感でいっぱいだ。こうした状態を示す、不快指数(discomfort index)を、最近は温度湿度指数(temperature-humidity index)と言うようだ。

温度、湿度による不快度を数値で表わすのだが、風の影響は考慮していないそうだから、風があれば感じ方は少し変わってくるのだろう。不快指数の評価は、8段階くらいに分けられていて、55以下は寒い、〜60は肌寒い、〜65、〜70、〜75までは快適なんだそうで、その中を3段階にして、人間様も三人三様なのでそれに対応?。〜80はやや不快、〜85不快、86以上はたまらない、だそうだ。
こう見てくると、不快指数は、70を越えると不快を感じる人が出始め、75を越えると半数くらいの人が不快を感じ、80を越すとはぼ全員が不快と感じるようだ。そうだろう。梅雨空は見上げるだけでも、快適感はない。


そんな梅雨も明ければ、暑い夏がやって来る。
夏の暑い日に冷たい水に漬しておいたキュウリやトマト、スイカなどが美味かった、なんて記憶がある人も少なくなっただろうが、子供の頃の記憶は鮮明に残っている。

家のベランダから眺める外の景色も靄っている。遠くを見通せない。3km先は見えていない。毎日がこんな日ではないが、どんより低く垂れ込めた雲が梅雨空を創り出していた。
あの先は、吉祥寺方面だった、こっちは新宿の高層ビル群が立ち並ぶ副都心の方向だ。
そして、あの辺りには丹沢山塊が長く横たわり、その端には、まだ残雪を頂く富士山が見えるはずだと・・・

こうした見通しのきかない風景を見ていると、何だかこの世の終わりを想像してしまう。
何か小説だったか映画だったかのシーンに似ているのだ・・・そんな時が訪れないことを期待したいが・・・・。

6月14日の「梅雨入り宣言」以来、雨が降ったのは宣言当日だけ。本当に梅雨入りしたのかと、気象庁へは苦情の電話が寄せられたそうで、「結果的に見れば、予報が外れたと言わざるを得ない」と判断ミス・・を認めているらしい。

こんな事が報道されているけれど、自然相手に人間がやることなんだから、間違いだってある。最近は、コンピュータを活用して、ずいぶん精度は上がっているようだけれど、それにも増してこの頃の気象変動は、予測が難しくなっているようだ。

我々素人が、よく気象歳時記にあるような、昔の人達からの言い伝えで、富士山の東側にレンズ雲がかかると天気が崩れるとか、田舎にいた頃は、電車の音がよく聞こえるので雨になる、お月さんが笠被っているので天気が崩れる、西の方の空が真っ暗だから、雨が降ってくる。などの雲による天気予報は、これからは中らなくなるのではないだろうか。

今年は、変な天候が続いていたので、富士山の雪融けが遅く、八合目から上では、積雪が1m以上あるそうで、例年だと7月1日は山開きするのだが、今年は、雪の状況によってどうなるか分からないそうだ。

そういえば、6月半ばに珍しく富士山が見えて、雪の量が多いように見えていたが、やっぱりそうだったのだ。
毎年、6月に入ると、それまでは毎日のように見えていた富士山の姿は見えなくなる。雨が上がった合間に、稀に見える時があるが、けっこう黒々した山肌が見えていた。そんな記憶からすると、今年のこの時期にしては、白すぎる。
北アルプスなど積雪のある山は、どこもそうだが、5月の連休には数mの積雪があっても、6月の梅雨で大部分が消えて、残った雪は秋口まで残る。

今年の梅雨は、例年に比べれば梅雨らしからぬ梅雨といった感じで、晴れの日が多い。

それでも、この頃はやっとというか、当然というか、梅雨っぽい感じになってきた。強くもなく弱くもない雨が、しとしと降って、雨が止んだ合間は少し涼しいのだが、それでいて少し歩くと汗ばむ、蒸し暑い…これが梅雨の時季なのだ。

こんな感じは嫌なのだが、でもどこかでホッとしていたりする。

この時期、我が家のベランダではミニトマトとゼラニュウムが頑張っている。梅雨空だが時折射し込む夏の太陽の陽射しに、いい色をしている。他にも白花のゼラニュウムやカポックが花をつけたり、昨年の今頃は沢山の紫の花をつけていたアガパンサスは今年は全く花を咲かせていない。

梅雨といって嫌な季節だと思ってしまいがちだけれど、この季節がなかったら我々人間も、動植物も困ってしまう。暑くなる季節に向かい、水不足は最も困ることだ。田植えを終えた田んぼは、今が一番水が必要だし、貯水ダムに雨水が貯まらないと水不足で我々が生きていけなくなってしまう。
今までも、空梅雨などで水不足になったりしたことは何回もあったが、最近は、そうした事情とは様子が違ってきていて、地球規模での気象の変動が起こっており、これまでと同じというわけにはいかなくなりつつある。

そうしたことを我々が知って、省ける無駄はどんどん無くし、地球への負担を軽減していかなければならない。

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2007 June 30 tama
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