【2006 Oct.7 十六夜月 月齢 15.03.】
【日の入りと同時に東の空に上ってきた満月 2006 10/07】
秋風 秋草
高円の尾花吹き越す秋風に紐解き開けな直ならずとも
「多可麻刀能 乎婆奈布伎故酒 秋風尓 比毛等伎安氣奈 多太奈良受等母」 作者大伴池主 万葉集より
高円(たかまと)の尾花(をばな)をなびかせて吹く秋風に、衣の紐(ひも)を解いてくつろぎましょう。特に何をする、というわけではないですけど・・・.
今秋の夜は、この万葉の詩の様に、ゆったりと過ごせたらいいなぁ〜
こんな気分を味わってみたいと思うが・・・どうだろう。
中秋の名月
中秋の名月は、荒天で当日見えなかったので翌日、日の入り直後の東の空に大きな月が上がってきた。その夜は、十六夜月。実は満月なんです。月齢でいうと15.03・・・・
月の満ち欠けは「朔望」とも言われ、太陽との位置関係で決まる。太陽と同じ方向にある場合を新月、反対方向にある場合を満月、その間に上弦・下弦(半月)がある。
注【「朔」は1日、「望」は15日 陰暦の1日と15日。新月と満月。】
昔から八月十五日(旧暦)の月を「中秋の名月」と呼んでいたらしい。
一年には「春夏秋冬」の四季があるが、旧暦では3ヶ月毎に季節が変わり、「一・二・三月」は春、「四・五・六月」は夏、「七・八・九月」は秋とされ・・・。
そのそれぞれの季節に属する月には「初・中・晩」の文字をつけて季節をさらに細分化して使った。たとえば旧暦四月は「初夏」となる。
この方法でいくと、「八月」は秋の真ん中で「中秋」。旧暦は太陰暦なので日付はそのときの月齢にほぼ対応するので、月の半ばの15日はだいたいにおいて満月に当たることになる。
ところが「八月十五日」の中秋の名月の月齢を調べてみると、実は満月でないことが多い。冒頭でも書いたが、今年の中秋の名月も満月ではなく、翌日、十六夜月が満月だった。
古くから、秋は、その年の収穫物を月に供える風習が各地にあり、里芋などをお供えしたので「芋名月」などとも呼ばれる。
また、八月十五日に秋の澄んだ空に昇る満月を「中秋の名月」と呼んで鑑賞する風習があったようだ。お団子は、芋を供えた風習の変形だったか、どうだったかは知らないが・・・(団子も芋も「丸い」から??)
今は、ほととぎすが咲き始めている。このほととぎすも、どこからか持ってきて庭に植えたのだろうが、少しずつ根を広げ、あちこちから茎が伸びてきた。
ミズヒキは、この時季もう終わりに近いと思うが、確か7月頃から咲いていたような気がする。
ピュ−ッピュ−ッという感じで、花のついた細いしなやかな枝穂が伸びていて、一見花序は赤に見えるが下から見ると白くみえる?と、いろいろなところに書かれている。そんなところから、熨斗などに懸ける紅白の水引に似ていることが名前の由来らしい。
でも実物を下から見てもそれほど白くは見えない。パッと見のほうが紅白に見えるような気がする。
よ〜く見ると一つ一つ小さな4 弁の花が咲いている。
この庭には、そこいらの道端で咲いている花から、園芸種まで沢山の花が咲いている。
シュウカイドウ、ハナカタバミは夏から何回も咲いて、今も咲いている。ゼラニュウムは1年中咲いているような気がする。花がなくなると次のつぼみが出てきて、また咲くというくり返しをずっとしている。
今年のヒツジグサは長い間咲いているような気がする。初夏の頃から次々につぼみをもって今だに咲いている。毎年咲いてはいたが、いつ頃から咲いて、どのくらいの期間咲いているのかも知らないが、そんなことを気にも留めていなかった。
今年は、ちょっとした出来事があり、よく見ていると、この花の不思議さが分かってきて驚いた。ヒメスイレンという名前では知っていたが、本当はヒツジグサということを知ったのはつい最近だ。
何の気なしに見ていると、毎日咲いては閉じて、また翌日次の花が咲いていたような気がしていたが、天候の加減か咲かない日があった。夏の暑さが続いていたある日、まったく咲かない日があった。前後の日は咲いているのに。そんなことがあってから注意してみていたら、昼前ぐらいから咲き始め、午後2時頃全開になり3時くらいになると萎み始めることが分かった。
何ということはない、この花は未の刻すなわち午後2時ころ開花する花ということで未草と呼ばれていたのだ。それぞれの花の差はあるけれど、大体2時前後が満開のようだ。さて、今年はいつまで咲き続けるのだろうか。
秋の兆し
北アルプスや富士山などの高山からは、初冠雪の声が聞かれ、関東周辺の山々からは黄葉が見ごろになったという便りが届くこの頃だ。
近くの公園を歩いてみると、樹木が少しずつ色づいてきたのに気がつく。早いのはやっぱりサクラだろう。黄色やオレンジに染まった葉っぱが、まだ木にはたくさんついているが、下を見ると既に落葉が敷き詰められている。歩けばわずかながらカサコソ カサコソいい音がする。
森へ入っていくとまだ青々とした葉っぱを沢山つけているが、ニセアカシアなどの黄色に染まった葉っぱが合間から見えると、そこだけがパァッと明るくなった感じがする。そしてそこだけが透き通ったように見える。
色が染まってきた葉っぱは、そろそろ樹木からの養分の供給がストップされ始めたのだろう。やがて葉っぱに残された養分と太陽の恵みによってもっと鮮やかな葉っぱになって、我々を楽しませてくれるだろう。
森の小鳥たちは、実った秋の恵みを森の中を飛び交ってお腹いっぱい食べて冬支度だ。これから遠くへ渡っていくものもいるだろう。
忙しなく木から木へ枝から枝へ飛び交うものや縄張りを主張してけたたましく鳴きながら縄張り内を飛び回るのもいる。
公園脇の土手に上がれば、既に稲の刈り入れが済んだ、がらんとした田園風景が広がっている。
今は、春先のような枯れ色ではなく、稲を刈り取った後の株から二番穂が出ていて、田植え直後のようだ。少し違うのは、春の田植えには満々の水を田んぼに張っているので太陽光でキラキラしたりして、活き活きした感じだったが、今はそれとは違う、何かが終わったという、少し哀愁が漂う。
それは、ススキの揺れであったり、葦原が枯れ始めたり、夏の間元気よく鳴いていたオオヨシキリの大合唱やセッセッセッと上がっていき、カッカッカッと下りてくるセッカの鳴き声が聞こえなくなったこと、赤とんぼが舞うようになった、こうした秋の演出のせいではないだろうか。