ヒバリ 「雲雀」 「日晴」
河川敷の堤防の下へいくと堤防の反対側からヒバリが舞い上がってきた。例の鳴き方で。
春先ばかりだと思っていた、ヒバリの高か鳴きが聞こえてきた。うるさいほどにピーチリチー、ピーチリチー、ピーチュルピーチュルピルピル・・・ と鳴いていた。
さえずりながらの動きが、またおかしい。鳴きながら空高くあがっていって、ある高さで上下左右忙しなく、しばらくさえずっていたかと思うと、急降下地面に降りて、静かになって、かと思えば、また鳴きながら舞い上がり、さえずりとともに空高く、そして繰り返す。
しばらく見ていたが、さえずりというより鳴き方も、動作も何だか変だ。気でも狂ったような感じだ。
ヒバリを漢字で書くと、「雲雀」と書くが、昔は「日晴」とか「告天子」とも書かれていたようだ。
元禄12年(1699年)に発行された【日本釈名(貝原益軒著)】という書物には、『ヒバリは日の晴れたときに空高くのぼって鳴くから日晴と書くほうがほんとうだと書かれ、わざわざ「雨天にはのぼらず」』と註釈があるそうだ。
「日晴」がヒバリに転じて、これに日の晴たとき雲間で鳴くので「雲雀」の字が当てられたものらしい。
「日晴」と書かれるのにもう一つの理由があるらしい。語源をさぐっていくと、その鳥の鳴き声の模写から呼称されてその漢字があてはめられたのだという。
雲雀(ヒバリ)は、鳴き声がピパリ・ピパピパ・ピパリ・ピパリと聞かれたのが「日晴」という漢字にあてられたからだとか、探せばいろいろな解釈がたくさんあるようだ。
旬のオオヨシキリ、コヨシキリ
今が、旬といえば、オオヨシキリ、コヨシキリだ。ここの田んぼのあぜ道わきには、葦がたくさん生えている箇所がいくつかある。
そんな葦の藪のなかから、ジュジュッ ジュジュッ ギョッギョッ ギョッギョッ ギョギィギョギィギョギョとやかましい声でさえずるオオヨシキリ。
ジョッピリリ ジョッピリリ ギョッキリキリ チリリとコヨシキリがさえずる。
こののぞいた葦原には、数羽のオオヨシキリ、コヨシキリが居た。葦の中を飛び回り、あっちにこっちへと飛び回り、器用に葦のしなやかな茎にとまり、大口を開けてうるさく鳴いている。
よく図鑑やHPに出ているオオヨシキリの写真は、ほとんどがこのように大口を開けているのが多いが、本物も同じように鳴いているので可笑しくなってしまった。
ちょっと、梅雨の晴れ間の鳥見
ヒバリの空中さえずり(高鳴き)
ピーチリチー、ピーチリチー
晴れた大空に高く上がってさえずる
空中高く飛びながらピーチュルピー
チュルピルピル・・・
表情を見ると、あっちを向いたり
こっちを向いたり、飛びながらも
いろんなことをしているようだ
こんなのもいました。
梅雨も半ばを過ぎ、後半へ入って来て陽性型の梅雨であることを各地でみせて大暴れをしている。雨が降れば、一気に降ってその代わり結構晴れ間も多い。
そんな早朝を狙って、近くの農耕地へ行ってみた。今の時季、森の中へ行っても葉っぱが生い茂り小鳥も見えない。
そんな中、ゴイサギとヒクイナが居るという情報を得たので早速出かけてみた。
この農耕地は、河川敷内にあり耕作をしている水田や休耕田、葦が生い茂る茂みがところどころに見られる。また、小さな森もポツンポツンとあり、昔からの農家の屋敷跡のような感じがする所だ。
ここは、人間が農作業に来るときしか姿を見せないので、鳥たちにとっては良い場所だ。更にサギ類などの水辺の鳥、小さな森にはウグイス、カッコウが、葦原にはオオヨシキリ、コヨシキリが見られる。
水田を見渡せば、ところどころにポツンと白いものが見え、双眼鏡をのぞけばアオサギ、ダイサギがみえる。上空を時々サギが飛んでいく姿も見られ、田んぼを移動していた。
この朝、ポツンと見えていた白いものがアオサギだと見分けがつくくらいまで近づいたら飛び立ってしまった。何だか驚かせて悪いことをしてしまったようだ。
早朝だったので、ぁtリ一面に靄がかかったような感じだったが、やっぱりここは水田地帯、とうぜんと言えば当然のことだ。
早起きは三文の得、と言われるが、まさにそのとおり。
この日、見られた鳥はオオヨシキリ、コヨシキリ、ダイサギ、アオサギ、ハクセキレイ、ムクドリ、シジュウカラ、スズメ、ツバメ、セッカなど沢山の鳥たちに出会った。また、鳴き声だけ聴けたのはウグイス、カッコウだ。
ゴイサギとヒクイナに期待して行ったけれど見られなかった。この鳥たちは田んぼの稲の中に入り込んで餌でも捕っていれば、まず見えないだろうし、情報でも姿は確認されていなく、声を聴いたと言うことだったので、また次の機会を楽しみに待つことにした。
大口を開けてさえずっているオオヨシキリ
顔をよく見せてくれたのじゃないコヨシキリ