虫たちも、夏のおわりを惜しむように冬支度にかかる。赤とんぼも夏の暑さをのがれ高原にやってきたけれど、もうその必要もなくなってきたようだ。ヒョウモンチョウも終わりかけているアザミの花に夏を思い出すようにとまっては飛び立ち、とまっては飛び立ち繰り返していた。

ミズナラの小枝には、ドングリの実が膨らみかけていた。もう少しすれば大きくなり、色も茶色くなって美味しそうになってくる。
このミズナラの葉っぱに、真っ赤なボールがついていた。まるっきり似合わない光景だ。
この赤いボールをミズナラの虫こぶといい、中にはタマバチ類の幼虫が入っているのだ。

【赤紫色が目立ったナンテンハギ】

【ススキと飯綱山】

【ガスが動き始め、山容を現してきた。上空は秋の雲が広がっている】

空には夏の雲と秋の雲が浮いていた。もうそろそろ夏の雲は引いて行き、澄んだ真っ青な空にうっすらすじを引いたような雲や、高層で巻くように流れていく巻雲・絹雲が見えて来る頃だ。

そして、空気も夏の水蒸気をたくさん含んだ空気から、乾燥してきて澄んで透明度が増してくる。秋の陽射しは陰をくっきり落とし、写真の被写界深度が深い写りのような景色が見られる。遠くの山の山襞までがはっきり見えてくる。そんな季節が秋だ。

【白いそばの花。  畑くろでゆれる秋の風物詩すすきの穂。まだやっと開きかけた若穂が銀色に光っている。】

ここ数日の間に、朝夕に気温がぐっと下がりすごしやすくなってきた。
この夏は、毎年のごとく熱帯夜や真夏日の日数を更新したし、平均気温も1〜3℃くらい高くなっている。年毎に人間が住みにくい環境になっていることは間違いないことだ。しかし、今年も季節は確実に移ろいはじめた。

地球を取り巻く環境がどんどん変わりつつあるが、本来からある自然、永遠と続いてきている自然の営みは、人工的に崩されていく環境の中でも自浄作用とでもいうのか、何とか本来の姿を取り戻そうとしているようだ。

そうなんだ、自然は何とか本来の姿にしようとしているのだけれど、人工的な力の方が強いためにどんどん環境が変わっていってしまうのだ。

最近、人間の間でもスローフードとかが流行りつつあるようだが、便利さだけでなく本来の姿、味、そうしたものへの郷愁へ目覚めたのだろうか?
ただ、そうした動きを見ていても、その手段において、自然さが無く、これまで環境破壊へ向かっていたときと同じ手法で向かっているような気がする。人間は、いつの間にか、本来の自然を、永遠と続いてきた自然と、どう接して付き合っていくべきかを忘れてしまったようだ。

いい季節、フィールドへ出て野生児になろう。自然人になろう。

アケビの実が淡紫色に色づき縦にパックリ割れて中から甘〜い果肉をのぞかせるのも、もうすぐだろう。アケビの名前は、熟した果実が大きく縦に割れるので、開け実からアケビになったといわれる。

木々の色つきもそろそろ始まった。桜の葉っぱが一番乗りだ。早いところから赤く、黄色くなり始めている。

採り残されたブルーベリーの実が熟しきって甘くなっていた。ほとんどの実は、既に夏のうちに採られ今まで木についている実は本当に甘い。果物、野菜にしても木に生ったまま熟れた実は美味しく、そのもの本来の味が楽しめる。今のように、促成栽培や早生りのうちに採ってしまい店頭に並んでいるものとは比べものにならない。ブルーベリーの葉っぱも淵のほうから徐々に赤く染まってきた。

そろそろ、山の幸も実る頃だ。ヤマブドウもブルーベリーのような黒紫色に熟してくるだろう.。子どものころ、祖母がこのヤマブドウを採ってきてブドウ酒をつくったものだ。子ども心に甘くて美味しかったような記憶がある。でも、けっこうアルコール分もあったような気がする。

8月初めごろに行ったそば畑は、小さな双葉が土の中から出てきたばかりだった。

9月にはいってすぐに、そばの花がそろそろ見ごろになる、という知らせを聞き、見に行かなければと…なかなか時間がとれなかったが思い切って、そばの花見たさで、ちょっと強行して一泊、明朝帰京をしてみた。
前週に襲来した台風の大風にあおられたのと花の最盛期がちょっと過ぎたようで、心なしか元気がなかったが、畑一面白いそばの花で覆い尽くされていた。


周りの畑くろにはススキの穂が、そよ吹く風にゆれながら陽光にキラキラ光っていた。
頬を撫でていく風は、都会の風とは違い、すでに冷たさを含んだ秋の風だ、新鮮で心地いい。

秋の気配

Nature Information & Obsarvation 2005 Sep.
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2005 Sep.17 tama
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