2005 Dec.8 tama

秋の陽射しは、もうすぐ大量の枯葉になって落ちてしまう葉っぱを射るように透かしていた。
春先には、今も黒々している幹だけが目立っていたが、芽吹きから沢山の葉っぱをつけ、夏には鬱蒼とした森をつくり、その木陰には沢山の人たちが遊んだ。今は、緑、黄色をへてあかく枯れ色へと変わり、やがてまたまるはだかの黒い幹だけになるのだ。

切りとった・・・・光りと影

Nature Information & Obsarvation 2005. Dec.

はやいもので、もう12月になってしまった。
12月に入ったら途端に、北国からは雪だよりが届きはじめた。信州の野沢温泉スキー場では、思いもよらぬ大雪がきたのでホクホク顔だそうだ。近年、スキー人口が少なくなってきたり、気候の変化で昔ほど大雪が期待できないので関係者としてはうれしい大雪だったのだろう。

もう山では、すっかり冬、都会でも朝の気温が一桁を記録するようになりいよいよ冬へ向いはじめた。
都会の街路樹や公園の木々が色づきはじめて久しいがそろそろ終盤に近づいてきた。今シーズンの黄葉・紅葉はあまりきれいじゃないという感じをしていたが、ここになって検めて木々を見てみると、そうでもないじゃないか、 けっこうきれいだぞ!という印象をうけた。
今シーズンは、さくらの黄葉・紅葉が印象的だった。校庭の脇の桜並木が花を咲かせているように真っ赤に紅葉していたり、同じ木についている葉っぱでも緑色のもあれば黄色く色づいているものなど、桜の黄葉・紅葉のプロセスというかバリエーションが多彩なので驚いている。

多彩に色づいた葉っぱ、日陰でくすんでいた葉っぱも明るい陽ざしがあたると光り輝く!
残り少なくなってきた秋、紅葉、黄葉をフィールドから切りとってきたので、ここに貼り付けてみた。

いつもこの小道から歩きはじめる。メタセコイアと雑木にはさまれた小道脇ではコゲラ、シジュウカラがいつも出向かえてくれる。

まだはっきりした緑色の葉っぱをつけた木と黄葉したメタセコイアが絵の具を混ぜたように真ん中あたりが濁ったように見える。これも自然のパレットなのだろう。

年中ほとんど変わらない緑のトンネル

真っ黄色に染まったイチョウ。陽の光を透かして葉脈までも透けて見えてしまいそうだ。今こんなイチョウが真っ盛り。

秋のはじめころ、この木の周辺にはエゾビタキが訪れて一週間ほど鳥見でにぎわった。まだ青々していた枝を飛び回ってフライングキャッチをしていた。今は無事に暖かい地へ着いただろうか。

春の連休頃まで、姿をみせていたツグミが、またこの森へ帰ってきた。まだ、この一羽だけしか見ていない。11月半ば頃に信州戸隠では群れで沢山見たが、徐々に里にも姿を見せはじめたようだ。また、この森もにぎやかになってくることだろう。秋の陽を背負って、冬の一番鳥だ。

12月に入って1週間したが、日本列島は相変わらず西高東低の冬型、それも強い冬型が続いており気温も1月上旬なみだといっている。ということは、冬でも一番気温が低い時期の気温ということだ。これもしばらく続くという。ちょうど二十四節気の大雪 (たいせつ) にあたり、「朝夕には池や川に氷を見るようになる。大地の霜柱を踏むのもこの頃から山々は雪の衣を纏って冬の姿となる頃。」だそうで、季節は正直でちゃんと山の方では大雪になっている。
私のHGの飯綱や戸隠もかなりの積雪になったそうで、戸隠の中社では40〜50cmあり、道路の脇は雪かきをした雪がすでに壁のようになりつつあるということだ。

秋までは、高温状態が続いていたが、ようやく冬らしい冬になったという感じだ。あと20日あまりで今年も終わる。今年は、たくさんの鳥たちを見てきた。ただ漫然としてきた鳥見だが、その陰でBird Banding ということが問題になっていることを知った。私には、難しいことは解らないが、自分が単に自然派というだけで 
Stop the Bird Banding を掲げている。

今、あちこちで自然破壊が叫ばれているなかで、自然に生まれてきて、自然の中で生きて、そのきれいな色、可愛い鳴き声の姿を、我々疲れた現代人たちに見せてくれ、癒してくれる。そんな存在である野鳥を知りながら、調査という大義名分を掲げ違法であるはずの霞み網を合法的?に使い、だまし討ちのような形で捕まえ足環をつけて放す、この渡りの調査、何十年もの間続け、その数300万羽にも達したという。しかし、そのうちたった1万8千羽しか渡った先で確認できなかったこの低い確認率には驚いた。

ここで、こんな調査がなぜ必要なのか?ということを考えると、野鳥の生態を研究している人たちにとっては、渡り鳥が渡りをする際のコースについて、こんな低い確率でも、そこから得られるものは、私のようなただの鳥見人には考えられないような専門家であるからこそ解る貴重な何かがあるのかもしれない。だから、研究者という者は、真理を追求しようとして、野鳥の保護に結びつけたりして、大義名分を立てて何かしら社会と接点を持つようにしている。それは良いが、問題は、方法である。

渡り鳥に通し番号付きの脚輪を付けるバンディングが、一部の野鳥マニアになってしまっている人に任せていることだ。それはほんの一握りの人たちであろうが、その一握りの人たちの行為の方が研究に協力しようとする善良なbanderの行為よりクローズアップされてしまうことが現実としてある。

生態系の変化は、その時々の自然、人工の変化に左右されながら我々が長年暮らしてきた中での結果であり、人間も動植物もそうではあるが、何らかの形で自然を犠牲にしなければ生存ていけないシステムが出来あがっている。その中で生きていくのだから、いかにそのリスクを最小限にしなければならない。


これまでずっと続けられたきたバンディングもそうだ。バンディングで一度捕らえられた野鳥は、生きながらえたとしても、たぶん二度と同じ地を訪れることが無くなってしまうのではないだろうか。こうして生態系が変えられていくことも考えられる。

やはり、今、こうしたバンディングの現状が、私のような素人の鳥見人にも見えてきて、疑問を持つ。多くの方々も疑問を持っていられる。気がつき、多くの人が首をかしげる、こんなとき標識調査の仕組みや、やり方、制度の見直をしなければいけない。

私のような単純な自然派や、鳥見に興味を持った一般の人でも理解できる言葉でバンディングを解りやすく説明してくれるような制度にしてほしいものだ。

私は、そういう一部の野鳥マニアになってしまっている人にBanderの資格を与えるような制度を改善してもらうために
Stop the Bird Banding を掲げる。

ハクセキレイが二羽、急旋回しながら追いかけっこをしていたのを双眼鏡で追っていたが、やがて運動広場の芝生へ着陸。一羽で遊び始めた。私を無視してヒョコヒョコ向こうへ歩き始めたが、ちょっと気になったのか立ち止まり振り向く。また、歩き始めたがやっぱり気になるようで、ついに私の方を向いて、「何か用かい?」とでもいいたそう。
ハクセキレイの後姿や横からはあまり気にならないが、正面から見ると前掛けみたいな黒班、なんか変な感じだ。

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Nature of the four seasons/四季の自然

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