皆さんの装備?外見からするといろいろいい物を持たれているようだが、お飾りっぽくて機能的でなさそうな人が多いように見えた。

さらに足取り、パーティ構成をみると2000m足らずの山とはいえ、何か非常事態が起きた時にはどうするんだろう?と心配になってしまう方々が多いように思われた。

まあ、やりたいことをするんだからそれなりに体力を整えるとか経験を積んでからにしてほしい。

近頃の商業ベースの登山で遭難するケースが起こっている。いくら優秀なガイドに従っても最終的には本人の体力、技量が自然とどう折り合いをつけるかが問題になることを知って、安全で楽しい山登りをしてほしいと思うのだが。

山登りからはずいぶん長い間離れていたら、最近の登山者層が変わってきているのに驚いた。
今回何組かの登山者とすれ違ったけれど、ほとんどが私より年長の人たちばかりだった。若いなと思った人たちでも私と同じくらいか、10歳くらい若いかなって言うくらいだった。

今回は、山小屋を基地にして、すぐそばにある飯綱山へ登った。
この場所は、標高約 1,100mでシラカバ、カラマツその他の雑木林で、これらの樹木はちょうど芽吹き時をむかえ薄黄緑色がきれいだ。最盛期を過ぎたヤマザクラは花びらをハラハラと散らしていた。
どこからともなく舞い落ちてくるヤマザクラの白い花びらは雪をおもわせる。

高原の遅い春に地面には、ハルリンドウが紫の小さな花をたくさん咲かせ始めていた。
他にもシラネアオイ、エンレイソウ、ジュウニヒトエが、また水辺のミズバショウ、リュウキンカやニリンソウなども花を咲かせていた。

戸隠からの帰路、バードライン脇の広い畑へ寄ってみた。

今は菜の花畑になっているが夏から秋にかけてはそば畑になるそうだ。

ここから見ると戸隠山がバックになりいい写真になる。そういえば戸隠のポスターやパンフレットに写っている写真は、この景色と同じものが多い。

飯綱山の本当の頂上は北峰で、標高にして約8m南峰より高い。
南峰から緩く下ってからややきつい斜面を上る、南峰と北峰の間は鞍部となっておりその先が頂上だ。
この鞍部には、まだ残雪が1mくらいの厚さであった。10分ほどで北峰の頂上に到着だ。8時55分。二等三角点と頂上柱にタ〜ッチ!! 
頂上には先客が1人、我々より15分くらい前に着いたらしい。

先客も早々に下山にかかったので頂上は我々2人だけとなった。ここは静かで、ゆるい風がクマザサをサラサラっと撫でていく音とウグイスのさえずりだけだ。
また、手ごろな岩が点々とあって広々しているので休憩には都合がいい。
娘と2人、昼食のお弁当は持ってきたもののまだお腹も空かない。まずはガスコンロで湯を沸かしコーヒータイムだ!

ここからがいよいよ急登。それも露出石と黒土で滑りやすい急斜面。”天狗の硯石””からほどなく登ると13番目、最後の石仏”虚空蔵菩薩”だ。しばらく登ると高木が減りクマザサや低木で視界が開ける。森林限界だ。飯綱山のような標高が1917m程度の山だと頂上直下100mくらいが森林限界ののだろう。

この辺りに来ると”イワカガミ”が多くなってくる。この名前は岩場に生えることと、光沢のある丸い葉を鏡に見立てた事に由来するらしい。また、森林限界で高木が無くなったせいか、いつの間にかシジュウカラのさえずりは消え、ウグイスのさえずりだけになっていた。

”天狗の硯石”から約30分で戸隠中社への西登山道が左に分かれる。8時30分到着だ。
このあたりが一番つらい登りだが視界が開け頂上方向には南峰直下の鳥居が見えてくるし、戸隠連峰の最高峰高妻山が真っ白な残雪をつけて大空に三角錐の穂先を突き上げている。それらが応援してくれるので頑張れる。下から見えていた飯綱大明神の鳥居を左に見て少し登るとあっという間に南峰の頂上だ。8時45分。

北峰への登山道から一段右下の見晴らしのいい場所には、赤い屋根の飯綱神社の社が祀られている。社の前から目前に広がるパノラマを見るが、今日は春霞で遠望はきかない。足下には飯綱スキー場、ゴルフ場がまだ枯れ草色に、それらを取り囲むように新緑の木々が鮮やかだ。
〔千曲川東岸から長野市街地の後方に聳える、
やわらかな曲線のシルエットの女性的な飯綱山。
この時期頂上付近の鞍部にはまだ残雪がある。〕

飯綱山へ登るのは何年ぶりになるのだろうか?もう十数年も前のことになる。今回は娘と二人で登ってみようということになりやってきた。登山口まで車で送ってもらっての登山なので楽ちんである。
5月、今頃はカラマツの芽吹きの時、カラマツ林の柔らかな黄緑色が色鮮やかだ。ひんやりしたさわやかな朝の空気。

朝まだ早い6時50分、と行っても今頃は5時にはすっかり明るくなって居るので早い時間なのかな?飯綱大明神の鳥居をくぐって登山口を出発。すると、鳥居の脇に、つい最近クマが出没したので注意の看板!いきなり出鼻をくじかれた感じだ。身の毛のよだつ思いだ。

さて、この登山ではここから一挙に800mを登る覚悟をしなければならない。
小さな鳥居をくぐりカラマツ林の登山道を歩き始める。あちこちから澄んだ小鳥の声が聞こえる。お馴染みのツッピイツッピイのシジュウカラ、ホーホケキョ ケキョケキョと鳴くウグイス、アカゲラか?コツコツと小気味良い音が聞こえる。
シジュウカラが圧倒的に多い、あとは私たちの話し声以外は聞こえない。カラマツ林の中の緩やかな登りを10分ほど歩くと、また鳥居をくぐる。その左脇には小さな不動明王の石仏がある。この登山道には、登山口から合計13の石仏が置かれ、登山者の安全を見守っている。

千曲川を挟んで長野市の東部から西の山々を見ると、右側から「斑尾山、妙高山、黒姫山、飯綱山、
戸隠山」の順に北信濃を代表する五つの山「北信五岳」が見える。その中の飯綱山は、長野市の市街地の背後に屋根型をした山容でどっしりと聳えている。
頂上は、二つ峰のある双耳峰で、手前の南峰と北峰からなる。この飯綱山は、南峰と北峰からさらに稜線をたどれば、霊仙寺山へと続き、これらの3つのピークで屋根型の山容を形成している。長野市側から見える飯綱山は、やわらかな曲線のシルエットがきれいな女性的な感じをした山だ。
この飯綱山に何十年ぶりか?登ってみた。以前には何回も登った、尾根続きで裏側の戸隠寄りにあるやや低い瑪瑙山は冬季にスキーを担いで登りスキー滑降をした。今では山頂近くまでリフトが架けられ誰でもがいけるようになった。                                          
今回は、この山登り紀行をスケッチとともにつづりたい。

何年ぶりかの飯綱山登山     2004年5月

注) 十三仏の説明は、一不動の脇にあった「十三仏縁起」の案内板より
    十三仏とは、死者の七十七日の至三十三回忌を司る仏なり。当飯綱山参道に我が九世端応聖麟和尚道標として、
    一不動 より十三虚空蔵に至る十三仏を建立し、現世未来の道標としたるは誠に卓見にして仏意を得たるものと
    いうべし。
    ちなみに、十三仏は、次のとおり。
    @不動明王 A釈迦如来 B文殊菩薩 C普賢菩薩 D地蔵菩薩 E弥勒菩薩 F薬師如来 
    G観音菩薩 H勢至菩薩 I阿弥陀如来 J阿ゆら如来 K大日如来 L虚空蔵菩薩

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ニリンソウ 20040507

20040507

イワカガミ 20040507

リュウキンカ群落の湿原と飯綱山 20040507

頂上からのパノラマは戸隠連峰、黒姫山、妙高山が間近に見え、その先には火打山、焼山など頚城連山が
まだ雪の綿帽子をかぶっていた。霞が無ければ白馬、五竜、鹿島槍ヶ岳など連なる北アルプスは、遙か彼方まで見渡せる。中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳、奥秩父の山々、浅間山、志賀高原の山々、そして遠くには富士山も望めるはずだ。

シラカバ、アカマツの混ざった雑木林の登山道は、山頂から延びる一つの尾根を歩く。
1〜2mの幅で、地面は笹の根や腐葉土が堆積しクッションがあり気持ちいい。今頃はまだ芽吹き時で葉が無いので見通しが良く枝と枝の間を通して視界が利くし、さわやかな風も頬を撫でていく。
が、あとひと月もすれば、葉が覆い茂りムッとする草いきれのように、風通しも悪くなるだろう。以前登った時はそんなときだったようなきがする。徐々に傾斜は増し始めたがまだまだ緩やかだ。
石仏を数えて11個目{阿ゆら如来)は”駒つなぎの場”だ。7時30分。ここまで出発から約40分、娘とおしゃべりしながらゆっくり来た。
ここで一休み。標高は1500mくらいだろうか。相変わらずシジュウカラ、ウグイスのコーラスは続いている。
ここは六畳ほどの広場があり、昔はこの辺りに馬をつないで一服したのだろう。

さて、出発。ここからは尾根道から変わって幅の狭い道を100mほど、斜面を横切るように進む。ここまでは緩やかな斜面を登り続けてきたが、ここからの100mほどのトラバースはほとんど平坦で視界も開けるのでホッとする。

続いて草付きの斜面をジグザグに登りながら高度を稼いでいく。急登が始まる。傾斜は、枯れた草や小木が今まで数ヶ月間雪に埋もれていた事を示すようにベッタリと斜面にへばりついていた。その間から春を感じさせる蕗などみどりの新芽がところどころ顔を覗かせている。

駒つなぎの場から約10分で”富士見の水場”に着く。雪解け水が地中にしみこみ、それが細い流れとなって沢すじから湧き出てくる。水は澄んでいて冷たく、すくって飲むと美味い。むかし、祖母から聞いた話で山へ行ったり、知らない土地へ行って慣れない水を飲むときは、いきなり飲み込まず、口に含み唾液と混ぜてから飲み込めば”水に中たらない”と言っていた。このことを私は今でも実践している。今回は、娘が水を飲もうとしたので、やはり同じ事を言って聞かせた。

さらに少し左の方に登るとやや大きな岩があり、3mほどの鎖が備えてある。それを手がかりとして進むと岩を乗り越えやすい。この岩場に寄り添うように、山桜の木があり赤みをおびたピンク色の花を咲かせていた。岩を乗り越えたところでサクラの花が迎えてくれるので、緊張を解してくれホッとする一瞬だ。

駒つなぎの場から約30分で”天狗の硯石”に着く。2.5m×2mくらいの大きさで真ん中が少しへこんでいて、大きな硯のようだ。硯石の上に立ってみると、何だかあの高鼻の天狗が一本歯の高下駄を履き、天狗の団扇を持ちここから下界の様子を見ていたような気がする。
ここから眼科には長野市街地が広がり、南東には大座法師池が見える。

頂上で約1時間休み、おいしい空気をいっぱい吸って下山だ。10時。
右へ下れば霊仙寺山方面、左へ下れば瑪瑙山方面に続く。我々はもと来た一の鳥居へ南登山道を下山する。

正面には眼下の飯綱高原が、右には戸隠連山の峰が黒い屏風のように立ちはだかって見える。下り道は傾斜が急なので何度も尻餅をつきそうになる。登山道を下り始めて樹林帯に入る頃ふり返ると、丸い南峰が見えた。

頂上を出て約30分、”天狗の硯石”まで下りてきた。この辺りまで来ると娘がこけたり、こけそうになったりしてきたので様子を聞くと、どうも足に疲れがでてきたようで”膝が笑う”現象がでてきたようだ。痛い訳ではなく、だるくなって膝の力が抜けるような感じで・・・ちょっと形容しがたい・・・。

それでも同じ道を下山するのは様子が分っているだけ、余裕をもって歩ける。娘も帰り道は楽しげに辺りを見回す余裕が出てきたようだ。
途中で登ってくる何組かの登山者と出会ったときも”登り優先”と道を空けたり”こんにちわ”と声をかけるようになった。樹木や咲いている花、小鳥のさえずりにも気をまわせるようになっていた。

ゆっくり歩き、水場で遊んだりしながら、11時に”駒つなぎの場”に下りてきた。頂上から1時間だ。ここからは緩やかな坂の尾根道を下る。13の石仏の一つひとつに今日の登山の無事のお礼を言いながら。
頂上から登山口には約1時間30分で下りてきた。11時30分だった。これで今日の登山はおしまいだ。


下山したところでお腹がすいてきた。この辺りに来たらやっぱり蕎麦だ。蕎麦と言えば戸隠蕎麦!って言うことで戸隠へ・・・新緑のトンネルが連なるバードラインを一路戸隠の中社へ向かう。

日本の山は山岳信仰や山岳宗教と結びつきが多いが、この戸隠も山岳信仰の村だ。ここは入り口が宝光社集落、続いて中社集落そして戸隠山の山懐に戸隠神社の奥社が祀られている。宝光社と中社は宿坊と蕎麦屋がほとんどだ。あとは少々が農家というくらい蕎麦屋が多い。


どの店もそれぞれ特色ある美味しい店ばかり、と言っても良い。その中でも、いつでも行列が出来ている人気のある蕎麦屋の一つで戸隠中社の鳥居前にある「うずら屋」へ行った。やはり20分待ち。
ざるそばとウド、コゴミ、キノコの天ぷら、ウドの胡麻和えを注文、珍しくざるそばを2枚も食べてしまった。美味かった!!

既に収穫が終わってしまったそば畑 20031113

飯綱山南峰と今は菜の花畑、夏・秋は蕎麦畑に 20040507

シラネアオイ 20040507

フデリンドウ 20040507

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Nature of the four seasons/四季の自然

2004/may 16 tama

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