晩秋の陽だまりの枝で、虎視眈々と?餌をねらっているカマキリ。よく見るとひょうきんな顔をしている。
仮面ライダーなどのモデルになりそうだ!

季節を色で表すとしたら秋は何色が似合うのだろうか。
それぞれの季節には、その季節にあったさまざまな色合いがあるのだろう。

秋は秋色なんだろう? 枯れ葉色、、ちょっとハイカラに言うとセピア色あたりが似合うんだろうか?
その反面、紅や黄などのあざやかな色合いが山全体を燃えるように覆い包む。 

こうした色が秋色なんだろうな、と勝手に考えている。
別にこうだと決めつけることもないことなのだから。

それを”彩りの秋”などと言ってみて、自分が楽しめればそれでいいひと時なのだ。
森の中をひとりで気ままに、あてずっぽうにあっちへこっちへと歩きまわる。
足もとにの枯れ葉、枯れ枝をカサコソ、バキバキ踏みながら気持ちいい。

こんな時間をもてることがいいんだろな。

藪になっている枯れ枝や枯れ草の中に、ひときは目を引く朱い実が一本生えていた。
春咲く、マムシグサの花は、まったく花とは想像し難いようなものだ。
花のように見えるのは仏炎包とよばれるもの。花は、その筒状の苞に包まれた中にあり見えないのだ。
葉っぱの延長のようでもあり、花といわれれば、そうかと思うが・・・そんな花だ。

そして、それが今この朱い実となった。
でも、刈り入れが、ずいぶん遅いような気がする。ここまで通ってきた里では既にほとんどの田んぼは、稲刈りが済んで、はぜ(稲架)に架けて,天日干しにしている。

谷あいで日当たりが悪く、実る時期がおくれていてのことだろうか。。それとも、刈る人の何らかの事情があってのことなのだろうか・・・それは知る由もないが・・・。
すすきがそよ風にふかれ、ゆらゆら揺れていた。

すすきは、秋の七草のひとつ”尾花”だ。

カヤの葉っぱは、手など切りやすい。子どもの時分は、野山、草むらのカヤの中を駆けずり回り、家に戻ってくると手足を何箇所か切って血がにじんでいたことがよくあることだった。

今は、すすきの透きとおった感じがとても好きだ。若い花穂は柔軟性があり、風にしなやかに踊る。が、もう十分にその役目を終えたすすきの穂は、硬くなり、風にふかれてもぎこちなく揺れる。

こんな風景は、人間もおなじようだ、なと思う。

不ぞろいな、朱色のつぶつぶが幾つも寄り集まって一つの穂のような形をつくっている。
この実は、液果で真っ赤に熟しているのだ。

枯れ葉で覆われた森の中を歩いていくと、この季節では何か不釣合いな緑色の葉が地面を蔓になって這っている。

そして、そのところどころにこれもまた、今となっては周囲の枯れかかった世界とは対照的な鮮やかさを誇示するような赤い実をつけている。つるリンドウの実だ。

春先には、釣鐘形をした、小さな紫色のリンドウの花を咲かせていたものが・・・・と、単に色だけの判断で、まったく違うもののような錯覚に陥ってしまった。

・・・リンドウという響きからは、やはり紫色の花を想像してしまうので・・・でも、こんな感覚は私だけかもしれない。。

黄金色に輝く重たい稲穂をたくさんつけていた。
たんぼの畦に生えている草は、まだ青々としていて、稲穂の黄金色とのコントラストが目をひいた。

この辺りには、大きな川がない。しかし、森林が多いこの山間部では、いたるところで地中に滲みこんだ雨水が湧き水となって小さな流れを作る。

幾条もの小さな流れも、寄り集まって水溜りをつくり、みずを満々とためる。

湖面のおおかたを水草がおおっている。少し前までは、どんなだったか花をつけていた名残りをみせている。

岸辺の黄色く染まりかかった木が、湖面にかがみ映しにしている部分黄葉も趣がある。

人知れず?自然界では、こんないとなみが繰り返されている。この繰り返しのうちにも、めぐみの光が満たされればあざやかに光り輝き、雨が多い時には、くすんでしまう。

やはり、天気や気温など自然の力が大きく左右していることを感じる

私たちの目を楽しませてくれている、この紅葉、黄葉の葉たちにも短いが一年という一生がある。

暑さ寒さに耐えて、風雨にさらされて、しっかり枝にしがみついてきた。そして、ついに今時分になると気温がさがりはじめ、朝夕の気温が10度を下まわって7〜8度の気温になると、木自身が冬篭りの仕度をはじめる。
木が自分の体力を保つために、葉っぱへの栄養補給をやめてしまう。

葉っぱたちは、その葉っぱに残った栄養分と太陽のめぐみの光で赤い色素をつくりだし紅い葉となっていく。。
また、黄色い葉っぱは、赤い色素を作らない木たちで、葉っぱの緑の色素が壊されて、もともと持っている黄色い色素が浮かび上がってきて黄色い黄葉となる。

足もとに落ちている枯れ葉が、昨夜の雨でぬれて落ち葉どうしがくっつきあっている。
普段ならば、ふかふかでカサコソ カサコソ気持ちいい森のさんぽ道も、ちょっと期待はずれ。

でも、こういうときにこそ普段何気なく、ただ気持ちいい感触だけで歩をすすめている足もとに、あらためて色あざやかに一枚いち枚の落ち葉を発見して、得をしたような心もちになる。

朝夕の冷え込みが少しずつ厳しくなってきた。
吐く息も徐々に白く見えるようになり、山野も緑から鮮やかな朱、黄、紅など多彩な色が広がり始めた。

また、山の実りの時期でもある。足もとには食べられるのか、どうか、小一時間森の中を歩きまわれば、いろいろなキノコが顔をだしている。

木にからみついた蔓をたどればヤマブドウやノブドウ、アケビなど・・・でも既に実は、ほとんどが森の住人の口に入ったようだ。


澄みきった秋の陽が射しはじめ、色づいたもみじを透かしてみるとあざやかさがいっそうきわだつ。

紅葉を愛でる対象として、いちばん親しまれているのではないだろうか。このもみじ。

彩りの秋

Nature Infomation & Obsarvation 2004 Nov.

周囲の野山がさまざまな色に染まる頃.。
里から山へ登っていく途中、谷あいの山道の脇に少しばかりの傾斜地に三段ほどの棚田があった。
最近は、すすきと言っているが子どもの頃はカヤと呼んでいた。
花穂がでてくればイメージとしてさらさら ゆらゆら と言った、すすきの感じがするけれど…
まだ、この花穂がなく青々した感じは、どうしてもカヤであって、すすきではなかった。
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2004 Nov. 11 tama

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