山里では、まだ黄葉や花、実が名残惜しそうに佇む。しかし、次の季節はすぐそこまできている。有無をも言わせぬかのように確実に、いつもの流れに沿って移り行く季節だ。

山はすっかり雪化粧をしていた。山里の人たちは、雪が来る前に冬支度に大忙しだ。

漬物で有名な野沢菜は、今頃採り入れ、冷たい水でよく洗い漬ける。霜に一回くらいあったほうがしなやかになり美味しく漬かるといわれていてる。

外に置いた車のフロントガラスがバリバリに凍り付いている風景もなつかしく、冬の訪れを感じた。まだ、都会ではそんな風景はまったく見られず、日中は、小春日和が続いている。この陽気を喜んでいいのか、どうか・・・・・・

冬の訪れとともに、一年間を振り返ってみると、年々変わっていく自然の景色を感じる。
当然のことのではあるけれど、ここ数年、あるいはこの一年を見ても自然界(これは自然にではなく人工的になされている。といった方が正しいかも)の変化量が大きすぎると感じる。
昭和30〜40年代の経済発展とともに失われていった自然、公害だらけの日本列島になっていった時代を思わせる。質的には多少の違いはあると思うが・・・今は日本列島のみでなく地球規模でじわじわ侵攻している。
皆が知らない?いや、知っているけれど知らんふりをすることを覚えてしまった人間たちが、今、自然がボディブローを食らって、徐々にそれが効きはじめていて、その後どうなるかということを知っているのにもかかわらず、何もしない。

霜が降りる時期といえば、忘れられないのが霜柱だ。この日も、農道から畑へ入ってみると足元がやわらかくグジュっといった感じが気持ちいい。
こどものころは、道路も舗装などされていなく歩く砂利道脇は霜柱がいっぱいだった。そこへ足を踏み込むとザックザックと小気味いい感触が気持ちよく、道を逸れて畑や田んぼの中へ入り込み、より長い霜柱をみつけてたり、誰よりも先に新しいところを争って踏みつけたり、道草をくいながらの学校への行き帰りだった。あの靴の感触が楽しかった!

さらに陽が高く光り輝くようになると、霜もすっかり融けて乾いてきた。
農道にはえているすすきは、朝のゆるい風にゆらゆらと揺れてキラキラ光っていた。

こんな繰り返しを何回かするうちに、この辺りにも初雪がやってきて、ついには根雪となる。ここらは150cmくらいは積もるので、この地面がふたたび陽の光を浴びるのは4〜5ヵ月後になるのだろう。

やがて陽が高くなり始め、凍りついた枯れ草やまだ青々とした葉っぱをもった草、名残の花に陽光が当たり始めると見る見るうちに解凍状態になり、表面につていた白いものが無くなり、何も無かったかのように本来の色にもどった。

この時期、もう霜が降りるのは当然のことだ。山間地のやや傾斜した畑脇の農道は草も刈られず草ボウボウのまま立ち枯れていた。泥んこの農道は整備もされずにデコボコだらけ、凹っ込んだところには雨水が溜まり、薄氷がはっていた。
薄氷は、指先にちょっと力を入れるだけで簡単に壊れてしまいそうな氷のヒヨッコのようなのだ。もう少しすれば、この兄貴分の厚い氷が徐々にはっていくことだろう。

12月の声を聞き、都会でも多少冬を感じるようになってはきたが、まだまだ厚手のコートは邪魔だ。何といっても、12月に夏日になったり、空っ風が吹いたりでめちゃくちゃだもの!
冬の先取りをするべくフィールドへ出てみた。 そこには、確実に冬の先駈けが訪れていた。
山地の気候も変わり目にきていた。標高のあまり高くないところでは、早朝に朝霧が辺りの森を覆いつくす。その朝霧がやがて消え始めると名残の黄葉が少しづつ表情を表してくる。あの向こうは何があるのだろうと、幻想の世界へ引き込まれていきそうだ。

昨年の今頃、11月の記録的な高温状態が伝えられていたが今年は、さらにこの記録が更新されて、高温状態が続いていることを報道していた。単純に考えると、東京地域が九州へスライドしたような感じだ。

ベランダから真っ白に雪をいただいた富士山が見える季節がやってきた。
これまでの季節は、夕焼けの真っ赤な背景に浮かびあがるシルエットの富士山や霞がかった富士山だった。

都会でも冬の気配を感じるのは、雪化粧した富士山、遠くの赤城山、筑波山や丹沢の山塊が我が家からはっきりと望めるようになってくるころだ。

季節の移ろいは、ここ何年かの間に長年にわたって行われてきた営みを徐々に変えつつ、今に至っている。

冬のおとずれ     2004年12月

森の中を真っ直ぐのびる道路の両脇は一時、真っ黄色に染まった唐松林だが、今は道路に落ちた枯れ葉だけがその光景を知っているかのようにひっそりしている。

この道の先は登山道へと続く。

森の樹木は、すっかり葉っぱを落とし枯れ葉色の森になり、いままで森の中を透かしても見えなかったその向こうが見えるようになり、ひとつの別世界が広がる。

霜は、立ち枯れている草の表面を薄氷で覆い、もう冬なんだ、氷の世界なんだといわんばかりだ。

今の時期、これくらいの氷に覆われても朝陽があたり始めればすぐに雫になって消えてしまう運命なのに・・・・

霜柱の発達のメカニズムは、まず表面の土が凍り、毛細管現象によって地中の水分が土の粒子の間を伝わって、徐々に地表に吸い上げられて地上の冷気に触れて凍ったものだ。

水分がどんどん供給されれば、それに従い霜柱も成長していく。

霜柱の形もいろいろだ。真っ直ぐに成長しているもの、先が曲がっているもの、長くてやせたものなど成長過程の気温、風、水分の供給状態や地面の状態などいろいろな条件で変わっていくのだろう。

皆、世紀末を予期しているのではないかと思われるように、歓楽街へ繰り出して遊興にしたっている。それもいいだろう、しかし、たまには歓楽街の明かりを、街の明かりを全部消して都心で空を見上げてみたらどうだろうか?たくさんの星が煌めいて見えるはずだ。そこには、かつて地球と同じように緑や水やおいしい空気のあった星が変わり果てた姿でいるかもしれない。

人類の歴史なんて、宇宙という時間から考えると、宇宙の46億年が人類の1年位の感覚だ。そう考えると、宇宙と人類のかかわりは ”まばたき” 程度のものなのだ。そんな中で生きている我々は、一瞬一瞬を、水や空気を、資源をもっともっと大事に有効にしていかなければならない気がする。

そうすることで、自分たちが生きている環境をいい形で維持していけるのだ。

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霜柱の話の序でに、植物にもシモバシラがあるのでその話題を紹介します。シソ科の多年草で、それが初冬に大変身をするのです。シモバシラの霜柱 http://www.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi5/mm5-1.htm

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Nature of the four seasons/四季の自然

2004 Dec. 7 tama

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