[サトウキビ (ウージ)]   

沖縄っていうとやっぱりサトウキビが連想される。
何かのコマーシャルでバ スを降りてサトウキビ畑にはさまれた炎天下の道を歩いていく、真っ青な空とサワサワと風に揺れるサトウキビ・ ・・森山良子か誰かが歌っていたサトウキビ畑♪♪・・あんな光景なのかなって・・・・♪      

最近の生産量はどうなんですかね?中国から伝わってきて、十五世紀ころから栽培され始め、本格的に栽培されたのは十七世紀からとか?植え付けには、3月ころ茎を植える春植え、8月ころ植える夏植えと刈り取り後の株から成長させる三種類があるそうだ。   

私のサトウキビの思いでは、アフリカの大西洋に浮かぶ小島の国のサントメプリンシペでのことだ。
仕事の合間の休憩時、屋外に出ると、近所の子供たちが30cm程に切ったサトウキビ の茎を持ち、歯で皮を剥き、ガブっと噛んで口の中でグチャグチャ、そしてペッと吐き出す。私も彼らからもら い、やってみたが、甘いことは甘いがちょっと生っぽい味がして、それほど美味いものではなかったように記憶し ている。   
[デイゴの木  〔マメ科デイゴ属〕   

デイゴの花が・・♪ でもまだ花は見れない。   
真紅で蝶形の花を密集して咲くそうだ。でも、まだ咲いた花は見ていない。
インドやマレー半島が原産らしくその辺りの亜熱帯圏に分布して、日本では沖縄辺りが北限のようだ。春から初夏にかけて咲く赤い花が有名だが、この花毎年満開するとは限らないとか。

木は見る限り大きく、高さは10〜15m、直径は3mにもなる落葉高木だ。

デイゴの樹木は、海綿のよ うな性質で、水を含んでも、完全に乾燥しても膨張収縮をしないそうで、その上軽く扱いやすいので琉球漆器 の木地として使用されるそうだ。

最初、何の木か分からずにいたが、あちこちで見られるので聞いてみたらデイゴの木だよ、って・・・ああ、これがデイゴの木! これが初めてだった。
鹿児島市起点=(700m)=鹿児島市鹿児島港=(海上区間)=種子島・西之表市南種子町島島開港=(海上区間)=奄美 大島・笠利町奄美 大島・瀬戸内町=(海上区間)=沖 縄県・国頭村奥(くにがみそんおく)那覇市(なはし)終点  
国道58号線  

国道58号線は、那覇市から沖縄本島を縦断して北端の国頭村までを結ぶ幹線道 路で、一部片側3車線道となっている。沖縄県内部分は、米軍が整備・指定したHighway No.1がその起源となっている。
那覇市の明治橋から沖縄本島西海岸を経て、名護市(なごし)、さらに最北部に ある国頭村(くにがみそん)の奥集落まで続く沖縄の交通の大動脈で、区間距離は125kmにもなる。

この国道の実際の起点は、鹿児島市山下町で、種子島、奄美大島を経て那覇市 まで続く、海の上も海上区 間として設定されている日本で一番長い国道で、全長877.9 km。

ちなみに日本で一番長い道路の国道は4号線で日本橋から青森市まで。  

那覇から嘉手納までは3車線で快適な道路だが、沖縄でも渋滞が激しいところ。 那覇市内や嘉手納付近では、沿道に椰子の木が植えられ、どこか南の外国を思わせる雰囲気がある。  

Whale Watching ザトウクジラ  
 

日本でクジラの繁殖地となって居る所は小笠原諸島近海と沖縄・慶良間諸 島周辺だそうだ。    
今回慶良間諸島周辺の海でホエールウォッチングをした。慶良間(ケラマ)諸島は,那覇市から西へ40kmの海上に浮かぶ大小20余の島 々から成っている。

この海域では絶滅したと思われていたザトウクジラの回遊が十数年前から再び見ら れるようになったそうだ。ここ12年間で722頭が見られているとのこと。
沖縄近海を回遊するザトウクジラは、12月頃に姿を見せ、慶良間諸島の周 辺で出産と育児を行い、4月頃 になると北の海に帰るのだそうだ。    

ザトウクジラが水面に姿を見せるのは、基本的に息つぎの時だ。潮を吹き、だいたい15〜40秒の間に3〜4回呼吸して再び潜る。一度潜ると15〜20分は潜り続ける。
この呼吸の時に 我々は彼らの姿を見ることができる。ホエールウォッチングでは
呼吸をしに上がってきて海水を吹き上げる、尾 で海面をたたく光景などが見られ
た。この時期、繁殖で回遊してくる彼らは、メス1頭に数頭のオスでグループをつ
くっているようだ。       

今回、この海域の3ポイントで観ることができた。私は大型船から数百m先を観て
いたが小型船で見に来ている人たちは、潮が吹き上がると一斉にそこへ向かって
船が移動する。
も う少し生き物に対しての配慮がほしいと思う。  
  
沖縄のさくらのシーズンは終わったようです。


街中を歩けば、まだポツリポ ツリと咲いている木もありますが、
やはり最盛期は過ぎたようです。   
ソメイヨシノは無いようなので、沖縄のお花見は、終わっちゃっ
たんですね !    
それにしても暖かくて助かります。信州生まれの、それも2月
真冬・・・そ んな時期に同じ日本でこんなにも過ごしやすい所が
あったなんて??感激 感激!!
2003年2月 南の国 うちなー
2003年2月、私は南国沖縄へフライトそのまましばらく滞在することになった。
2月初旬、ここに来たころは気温が16.7℃くらいだったが日に日に暖かさが増してきて、このごろは20℃を超す日が多くなって過ごしやすい。ただ、今は季節の変 わり目なのか、島気候のせいか天気が変わりやすい。晴れていたかと思うと、いきなり雨が降ってきたりして、以前メルボルンに滞在したときに、「ワンディ フォーシ ーズンズ」  と向うの人たちが言っていた言葉を思い出した。  

さて、沖縄へ来たからには、沖縄発の情報をと思いつつも、なんといっても初めての地、動植物、生活、文化、見るものすべて初めて。これからいろいろ探検をしないと皆さんにお届けできるネタがありません 。  

そんなわけで、今回は、那覇近辺の足を運んだところを紹介しようと思っている。  
シーサー    

シーサーは沖縄の言葉で「獅子」のことらしく、魔除けとして、門柱や屋 根の上によくいる。家の守り神だそうだ。    
口を開いているシーサーは幸運を呼び込み、口を閉じているのは不運を防 ぐと言われているそうだ。

 
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Nature of the four seasons/四季の自然

首里城

沖縄と言えば、琉球王国の政治、外交、文化の中心地として威容を誇った首里城。
琉球王国は、1429年に成立し、1879年までの間、約450年間にわたり、日本の南西諸島に存在した王制の国だ。

今は、首里城公園となり、沢山の観光客でにぎわっている。
住んでいた所から歩いて行ける距離だったので行ってみたが、日本の建物と言うより中国の影響が多いようだ。
琉球独特の建築様式で日本のお城の石組み技術とは違うのも、中国をはじめ日本、朝鮮、東南アジア諸国との外交・貿易を通して海洋王国を築いた国家であったことを物語っているようだ。

守礼門を入ったが、広大な敷地内には幾つもの門があり、首里城の周囲をぐるりと回り、色々な門を見て回り、広福門までたどり着くのに疲れてしまった。
結局、時間も無くなり御庭をチラッと見ることで終わってしまった。

HOME
沖縄は、一般のお墓もかなり大きく、上記のような影響が庶民にも広がったようだ。
先日、読谷村を訪れたときに畑の端にそれぞれの家のお墓があった。それも石造のもので規模が大きかった。  
また、珍しい風習があった。2月16日は、ご先祖さまのお正月で、家族でお墓に お参りしながら墓前でご馳走をいただくそうだ。   

  注)「玉うどん」ではありませんのでご注意してください。
玉陵(たまうどぅん)[世界遺産]
玉陵(たまうどぅん)
玉陵(たまうどぅん)  

首里城のすぐ出たところにある。
琉球王朝時代の、1470年〜1872年ころ第二尚氏王統時代に王の遺骨を改葬する ために築いた墓陵だそうだ。  
琉球では、祖先崇拝信仰の表現形態として墓を立派なものにしようとする志向が強いそうだ。 玉陵の設立は、国家的シンボルである王家がその信仰の模範者として墓を整備し、祖先崇拝信仰を国内統治の安定・強化に結び付けようとした意図があったらしい。

玉陵は屋根のついている「破風墓(はふうばか)」で、「亀甲墓(かーみくーばか)」と同様、その後庶民のお墓のデザインにも同様な形式が採り入れられたそうだ。
墓室は、三室に分かれていて、まず王が亡くなると中室に遺体を数年安置し、骨だけになると洗骨し王及び王妃は東室に、その他の王族は西室に納骨されたそうだ。

 
 
沖縄のメイン国道58号線(那覇市内)
デエゴの木、まだ真っ赤な花は咲いていない
サトウキビ畑
街中の民家の入り口にいたシーサー
ザトウクジラの尾が写っていた
ヒカンサクラ
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